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☞ ものの本をひも解く 

今月の標語:

逃げ道をゼロから切り開く   

更新情報

   ※ 気ままに更新しています

▶ 私家版詩集、第三十集『不縁』を発行しました。


▶ オリジナル短歌のNFTを発行しました。


▶ フルオンチェーンのNFTを発行しました。

お知らせ

品物をシナモンと読み、シナモンと同じアクセントのあなた。その全部を好きなんです。


靴下の表裏を反対に家を出てしまいました。誰にも気づかれない恋に似ています。


ものの本企画ウェブサイト公開十周年です。惰性もいつか衰えます。


りんごとみかんは比べられない。こんなフラれ方があるのですね。


愛に歳の差は関係ないと説くあなたと同い年なのでどうしたらいいですか。


台風一過。晴れているのは恋を知らない空だけです。


涙が出ない悲しみ。それは悲しみではなく孤独でした。


公園で落としてしまったわらび餅は、やっぱりわらび餅のままでした。


ぼた餅の季節が来たと言うあなた。あなたの心の内は永久に知れません。


思い出に生きるのではなく、思い出が今を生きるのです。


言葉だって、質量と重さは違うんです。ふたりの間に働いている力を知ってください。


洗濯物を洗濯機の中に忘れたまま家を出るくらい、仕合わせに慣れていないんです。


花を見るのは好きじゃないと言うあなた。咲く前から散る花もあるのですね。


今週は会えない。今週は雨、みたいに言うから余計に恨めしくて。


天気予報を予想するあなた。雨に濡れるのはあなた。


今年もあと一週間です。ということは、来年はまだ丸々一年間あります。


健診の予約しか予定のないスケジュール帳を誰も笑ってくれない。


ものの本企画ウェブサイト公開九周年です。当たり前ですが来年は十周年です。


夏のはじまりはあれほど澄んでいたのに、おわりはいつだって雨。


みたらし団子の四玉目と五玉目に罪がないことはもちろん知っています。


どれだけ暑くても暑いと口にしないあなた。好きも嫌いもですか。


あなたの前でまるごと一本の焼きトウモロコシ。なにか試されている気がします。


梅雨の入りにはまだ早いなんて。雨も涙も、誰の思う通りではないのです。


また会おう、は嬉しい。でも、また会おう、が寂しいことも知ってください。


カフェラテ、カフェオレ、カプチーノ。つまりコーヒーが好きなのですか嫌いなのですか。


散るからこそ美しい。ええ、仰るとおり叶わなかった恋心は美しいですよね。


白ワインと赤ワインを順に飲んでロゼを楽しむと笑うあなた。意味は問わずにおきます。


カプチーノの泡を笑うあなたの、ビールの泡を笑ってあげたい。


まだ口をつけないりんご飴を落としてしまいました。この深遠なるアクシデント。


あなたの写っていないカメラが壊れたところで、どうということはありません。


奥歯の詰め物がとれました。それを伝えるひとがいません。


ものの本企画ウェブサイト公開八周年です。そろそろ気力も尽きそうです。


ベランダの洗濯ものは誰を思って揺れているのでしょう。


かりんとう、塩味。言葉を失うどころか罵声を浴びせてやりたい。


ひとつの季節が終わったとあなたは言う。まだなにもはじまっていないつもりの日々。


曇り時々、雨。あなたのやさしさみたいで困るんです。


背伸びして、手を伸ばしても届かない雲。たとえこの手につかんでも雲。


積乱雲は雲なのに、誰に思いを重ね誰に心を乱していますか。ねぇ、教えてください。


誰をも褒めるあなた。だから一緒にいたくて、だから一緒にいると苦しくて。


連絡もなく、湿ったまま晴れない日々を、早く梅雨のせいにしたい。


冷たい雨の日に上着を着てこなかったこと、あなたはどう気づいてくれますか。


たけのこの手間なんて、どれだけ思いを寄せても実らない恋に比べたら。


また、いつかみんなで行こうとこたえるあなた。いい加減に諦めろと言いたいのですね。


冬の間は眠っていた恋心がそろそろ目を覚ます頃とみづからに言い聞かせる季節。


パウンドケーキが三千円、と驚くあなた。この手作りチョコをどう驚いてくれますか。


遠回りして一緒の電車に乗ってくれるあなたと遠回りしています。


今、揺れたね、と聞くあなた。胸の内を見透かさないでください。


こんなにくっついて座ってたらアイスクリームがとけちゃう、なんて言ってみたい。


ものの本企画ウェブサイト公開七周年です。先が見えません。


ワインを飲み比べてよろこぶあなた。そんな姿にまで悲しむなんてダメでしょう。


予定もない休日を丸一日図書館で過ごしたというその休日をください。


フルーツが好きと言ってみかんの缶詰を開けるあなたの哲学を聞きたい。


定期購読であなたに届く雑誌を羨むなんて、もう恋以上ですよね。


突然の雷雨で帰れなくなれ。あなたの横で考えることはそんなことばかり。


芝生に座ろうと言うあなた。隣で好きって言っていいですか。


一緒の傘に入りたいんじゃないんです。一緒の場所に帰りたいんです。


すすめた本を借りずに買うと言うあなたが、とてもあなたらしい。だからなんです。


酔いが覚めたらもう二度と手を出さないと決意する、恋とお酒。


蚊に刺された気がします。恋の予感もします。


口のまわりが汚れる前提のシュークリームを好きになる日はいつかくるでしょうか。


鍋の日にあなたは帰ってこない。もう春だからですか。


こしあんの漉された皮の無念を思わない時はありません、こしあん好きとして。


次は一緒に辛口に挑戦しようなんて言うあなたの言葉が甘口すぎて。


年が暮れても、誰もなにもくれません。


冷めた焼き芋をふたつに割って半分を渡されました。その程度ってことですか。


手袋を貸してくれるなんて罪です。うれしいし、ほんとうの手の温もりではないし。


ものの本企画ウェブサイト公開六周年です。息は上がりきっています。


朝のいつもの挨拶が勘違いだったなんて、もう朝はこなくていい。


抹茶があるなら抹コーヒーがあっていいと言うあなた。いいけど、ないです。


ハンカチを忘れたあなたが照れ笑いをするから、毎日忘れてきてほしいくらい。


雲ひとつない空と言えない、雲がひとつだけ浮かぶ空。雲に罪はありません。


カステラと言うと、カステーラと言い直すあなた。この一点だけがどうしても。


雨が止んではじめて、雨が降っていたと知る。恋ってそういうものですか。


一本のみたらし団子を半分コ、うれしいけど奇数です。


いつも同じ月を見てると言ってくれたあなた。でも、そんな月にまで嫉妬してしまいます。


口の中に刺さる芋けんぴは人類の敵です。


一緒のお酒で、たまにはあなたの酔う姿を見たい。そう思う時間にすら酔ってしまいます。


ふたりを近づけた冷たい風も、いつか去ってふたりを引き離す。そんなのは嫌です。


いつも一歩遅れて歩く。見上げる、あなたのうなじが好きとも言えず。


大福餅をカバンの中に落とすと、カバンの中は真っ白の粉まみれになります。


もう二度と会えないなんて、どうしてですか。世界はたったひとつしかないはずなのに。


愛を示す言葉が胸に刻まれ、やがて、その言葉は胸に悲しみを刻みます。


アイスコーヒーでお腹が冷えちゃう。そんなあなたに、こうして胸が温もるのです。


ものの本企画ウェブサイト公開五周年です。さて、この先どうしましょう。


しばらく出会いなんていらない。このしばらくが、すべてを言い表していると思います。


会えない距離に行ってしまったことを安堵するなんて、これほど悲しいことはありません。


あなたの、会いたいという言葉。ただ会いたいのですか、会いたくて仕方ないのですか。


いつか伝えたいと決めた思いは、いつか伝えられない関係になるのです。


隣りに並んで早足なのは、もう帰りたいからだと、どうしたって思うのです。


あなたのいた昨日と、あなたのいない今日、たった一日がこれほど違うなんて。


古書販売サイト「ものの本書閣」の運営を終了しました。


もう会わないと決めたのは勇気でも覚悟でもなく、希望と知ってください。


納豆に限って、日が大分過ぎても平気でいられます。


歩みたい道を進めばいいと、朝の太陽があたたかく背中を押してくれました。


数字ひと文字の紙片でも、あなたの手で書かれたものを捨てられずにいます。


集積所で雨に濡れる古紙たちも、いつか救われるのですか。


春はいつも予感を運んできます。その予感はずっと前から胸の内にあったものです。


名前を呼び捨てても構わないなんて、少し前から心の内で練習していました。


今日くらい、いちご大福の是非はよして楽しく過ごしたい。


安寧になびき、とうとう、叶わない思いを受け入れられそうになる。


追い出すことは無理なので、あなたがこの胸から去っていくのを待つしかありません。


ものの本企画ウェブサイト公開四周年です。体力が落ちてきました。


いつか思い出になる、はいつも誰も慰められないのです。


手にのせたみかんのかわいらしさに安堵して、新しい季節を迎えました。


ただひとつ過ちを犯せるのなら、あなたをまだ知らない過去に戻りたい。


巻末の解答を先に読んでしまう。ずっと昔からそういう生き方をしてきました。


これが最後の、を幾度か過ぎて、もう臆病にしかなれません。


ういろうの丸かじりは、はしたないですか。


もう少しだけ一緒にいたい、にキリがないことを思い知らされました。


仕合わせがたったひとつだなんて、それがほんとうなのでしょうか。


はじまってしまったものを悔いても、なにも終わりません。


言葉の重みを量らずに、あなたは隣に座ればいいと言う。


こちらから誘うものとばかり思っていました。喜んでいいのですね。


この絵が好き。ふたり並んで同じ言葉を口にできた、それだけのことなのに。


涙が果てた夜、悲しみは身の内にとどまると決めたようです。


待ってくれているひとと、待っているひとが一致しない、ただ苦しい夜です。


時々こうして顔を見られるだけで満足なんて、そんな嘘を口にしたくない。


ものの本企画ウェブサイト公開三周年です。気力はまだ残っています。


金木犀が香るヴェールを脱ぎ捨てて、これでほんとうの秋が始まります。


ココアが好きだったねと言われ、体の奥が温もりました。どうしたらいいですか。


言い出せないのにどうにか伝わらないかと願う、意気地のないまま夏が過ぎる。


スイカのように、涙が夏の恋を甘くしてくれるなんてないのです。


失う悲しみに臆病になるなんて、まだなにも始まっていないのに。


紫陽花は紫陽花という名を知らずに、それでもきっと紫陽花として雨を迎えるでしょう。


いつか忘れてしまった数々の思い、この胸の内に確かにあったのでしょうか。


あなたがくれた一冊の本をいつまでも読み終えたくありません。


散った桜がその美しさを失うのなら、狂おしいほど思うことはありません。


言えない立場と割り切って癒えるほどなら、眠れない夜なんて来ないのです。


うんと砂糖を減らし、散った思いと飲み込みながらエスプレッソを空けました。


信じたい、信じさせて、信じてる、愛はどこにありますか。


雨の夜に傘を貸してくれました。晴れた朝、返しに行きます。


▶「ものはためしに映画祭 0.9」の開催が決定しました。 無事に終了しました


ふたり歩む姿。母を頼る子、子を導く母親、一緒に生きていくことの確かさでした。


会えることが嬉しくてつらい、この思いをひと言で表す言葉がないのはどうしてですか。


▶「ものはためしに映画祭 0.8」の開催が決定しました。 無事に終了しました


誰にも言えないはずの秘密をそっと誰かに打ち明けたくなる夜があります。


ものの本企画ウェブサイト公開二周年です。どこに向かって行きましょう。


一篇のやさしい詩が胸の奥で小さな種子になる、そんな出会いに恵まれました。


不意に降り出して雨宿り。ささくれがちだった心もいつかしっとりと潤います。


名前を憶えられていて、小さな心が浮き立ち帰る、ただひとりの月夜道でした。


離れたひとの元から日々の便りを届けてくれる、夕涼みの風をやさしく思う。


蝉の声まで肌にじっとりと蒸すよと愚痴る、あなたの夏嫌いが好きでした。


新しいボウルを買って、日の暮れにラッパを鳴らす豆腐屋さんを迎えました。


黒蜜の是非について、わらび餅の好みを比べ合った時間、普段より喉が渇きました。


大切な日を忘れることはありません。明日、あなたはまたふたつ年長になります。


▶「ものはためしに映画祭 0.7」の開催が決定しました。 無事に終了しました


汗ばむから手をつなぎたくないなんて言えた、ある休日の贅沢でした。


▶ 古書販売サイト「ものの本書閣」の運営を始めました。


舗道の上で鼻歌を歌う。白い雲が青い空に透き通っていくようでした。


してほしいこと、ただいてほしいこと、それだけも伝えられないふたりの朝。


悲しみを脱ぎ捨てようとする決心が、春の予感を胸の内まで呼ぶと知る。


冷たい朝日より先に、あのひとのまだ眠る時間を心に思い温もる。


雪の結晶はひとつの迷いもなく、純真に自身のすべてを律することができるのでした。


見上げると星はすぐ手に取れそうなのに、会えない夜の空は無限に奥まっていくようです。


▶「ものはためしに映画祭 0.5 & 0.6」の開催が決定しました。 無事に終了しました


大好きな詩集を膝に乗せ、温めた牛乳を飲みながら午後が来るのを待ちました。


夕暮れの乾いた風が運ぶあのひとの記憶。晩秋を厭うほど思い出は胸にしんと響くのです。


ものの本企画ウェブサイト公開一周年です。これからも地味に地道に。


堀川の水面に街の夜が落ち、肩に寄せたあなたの頬。ふたりの胸にゆれる波でした。


映画を待つ間に本を開く彼女、それを見守る恋人。スクリーンの中ほど美しくありました。


おはぎは断然きなこが好きなんです。近所の和菓子屋さんにそう伝えてきました。


▶「ものはためしに映画祭 0.4」の開催が決定しました。 無事に終了しました


気づけば川べりに夕涼みつつ。夏も暮れゆく寂寥と、ひとり内省する時間でした。


遠く雲のふもとまではしゃいで駆けて行きたかった、あの頃と同じ青い空。


▶「ものはためしに映画祭 0.3」の開催が決定しました。 無事に終了しました


あのひとの横に並んでかき氷を食べる。ただそれだけの一日でした。


破れた恋もいつか忘れる、すべてを洗い流す雨は心の中にも降るらしいのです。


月まで手が届きそうな夜でした。明日もまた笑顔でいられると思います。


いつものバスをやり過ごし、おいしい匂いのこぼれるパン屋さんを見つけました。


朝に花を愛で、本に耽る穏やかな昼下がり、夜にはワインを嗜んでみたり。


▶「ものはためしに映画祭 0.2」の開催が決定しました。 無事に終了しました


桜の姿に心乱された先人のごとく、あなたを見つけた春の心は穏やかでいられるはずもなく。


懐かしい歌をふと耳にして、遠い記憶のあのひとにもう一度ありがとうと伝えたい。


特売のチョコをまとめて買ったら、お店のひとが義理の笑顔をくれました。


▶「ものはためしに映画祭 0.1」の開催が決定しました。 無事に終了しました


夢の中で泣きました。仕合わせである時ほど悲しい夢を見て涙します。


新しい年です。このまま心穏やかに、しんと静寂した朝の空気に包まれていたい。


街はどこも華やかに賑わっています。すべての世界、すべてのひとの心に平安を。


▶「ものはためしに映画祭 0.0」の開催が決定しました。 無事に終了しました


▶「ひとりで一箱古本市」も同日開催です。 無事に終了しました


今日を大切に過ごしたら、昨日を労い、明日の予感に感謝できるようになりました。


文化の日。ウェブサイトを公開しました。


朝食の魚を駄目にしてしまいました。焦がすのはあなたを慕うこの胸だけで十分なのに。

行きずりの宿世でも

ものの本企画ウェブサイトへようこそ。

  ◇

こうして本ウェブサイトへ立ち寄ってもらえたのは、ほんの少しの偶然かもしれません。
でも、その少しの偶然が思いもしないきっかけになることも、まったくない話ではありません。

本ウェブサイトを訪れてくれた人とのつながりは全部大切なものと思っています。
たとえ一度きりの短い縁だとしても、ここで触れた何かが、不意にどこか遠く他の場所で別の形になって継承される可能性もあります。
そう考えると、ひとつひとつの小さい縁もすべて、必然的な出来事と捉えられるものです。

  ◇

行きずりの宿世。
儚い印象の中にもどこか人情の温かみを感じることのできる言葉です。
ここで生まれた縁がそんな関係に発展したら…。
なんて、ひとり夢想するだけでとても楽しい気分になってきます。

何かひとつでも心の奥にそっと響くものを受けとってもらえたらいいなと、ウェブサイトの裏側からこっそりと、しかしはっきりとした強い思いで願っています。

つれづれな話題

馬の骨には鹿の骨

どこの馬の骨だか知れない奴にうちの大事な娘を預けられるか!
お言葉ですが、私は馬の骨なりに由緒正しい生まれです、安心してお嬢さんをお預けください。
なに、出自の確かなボンクラというならうちのすべた娘と相性ぴったりだな、よろしく頼んだぞ。
お義父さん、必ずや仕合わせになってみせます!(男ふたり、固い握手を交わす)

きっといろいろ間違っています

手塩にかけて焼き上げたオレの鮎を易々と食べられてたまるかっていうんだ、と客に怒鳴りつける鮎の塩焼き屋さんがいたら、それは多分ダメな鮎の塩焼き屋さんです。
手塩にかけて握ったうちの握りを存分に楽しんでいってください、と愛想のいいお寿司屋さんがいたら、それは多分お寿司ではなくおにぎりですので心して食べなければいけません。

ちょっとした行き違い

あたし、裏表がなくて立派って言われたの、自分では言われるほど大層なことでもないと思うんだけど。
思ったことは誰彼なく言っちゃうだけだし、気持ちをそのまま態度に表わしてるだけなのに。
でももし、相手と場所をわきまえろっていう嫌味だとしたら、それって気の小さい人間の妬みや僻みよね。
おまけに、メビウスの輪っていう言い方もされたわ、なによ、それじゃあたし、ひねくれてるってこと?

その目指す先

地元ライブハウスを皮切りに新曲を引っ提げての全国行脚スタート
 1:皮を切るほどの痛みから、一番最初にすえるお灸を「皮切り」と表現するようになった
 2:「腹切らせ、其の首引っ提げて帰城する」/『桐一葉』(坪内逍遥)
 3:仏僧が修行のために徒歩で諸国を巡る、行脚

まったくもって気疲れのもと

気の置けない友人、などという言い方をしますが、その言い方自体、気が置けなくないことないですか。
だって、気の置けない、なんて、意味が混乱しやすい日本語の筆頭と言ってもいいくらいですもん。
置ける、という可能動詞を自発動詞あるいは自発的意味合いに解釈しろという要求こそが根本の原因です。
本当に気の置けない関係なら、ややこしくて気の置ける表現は避けた方がいいと思うのですがどうでしょう。

言うは易し

ほんの少しの誤解から、人間関係に大きなすれ違いが生じることはよくあることです。
大人げない振る舞いはしたくないと、思うところも口に出せず、だからといってなにひとつ納得もいかない。
しかし、腹に溜めていてもいいことがないのは、宿便に限らず不平不満や鬱憤も同じです。
意地は捨て、わだかまりはさっと水に流し、長い拘束から解放してあげた排泄物ちゃんは見ずに流しましょう。

悠久の時へ最敬礼

ミイラ取りがミイラになっちゃってハハハハハ…は完全に甘く見積もっています、ミイラのことを。
ミイラだって一日にして成らず。
ミイラ取りがミイラになるまで待っていたということは、待つ方も同時にミイラになることを意味しますので、ミイラ取り待ちまでミイラになっちゃってハハハハハ…て、ミイラになったら笑うこともできませんけどね。

ひとの欲、無尽蔵につき

驚くほど運気が上がる、お金に困ることはもうありません、幸福を呼ぶ壺、今ならまさかの50万円、安い!
こんな陳腐な売り文句に煽られ、しかしあなたの思うような壺と実際の壺はまるで一致していません。
悪徳商法などには引っ掛からないと自覚している人でも、いつどこで心に隙ができるかわからないものです。
自分ならあるいは…などと欲目を見せれば、それこそ相手の思う壺ですから、くれぐれもお気をつけください。

あなたなしでは生きられないの

人間はひとりでは生きられませんが、あるいはそのため同時にどこまでも孤独な存在でもあります。
宿命的な孤独を埋め合わせるためか、他者から成果を認められたい欲求は天井知らずで際限がなく、特に現代人のそうした業はインターネットの発達、普及で一気に顕在化しました。
称えられるべきはもはや自身の存在にまで及び、自我自賛現象は根の深い問題と言えるまでになっています。

揺りかごも自らの手で揺らす時代

かつて一度でも情に満ちた時代があったかどうかは知りませんが、言うまでもなく現代はとかく無情です。
自分の身は自分で守らなければいけませんので、保険や貯蓄は大切で必須の心構えです。
貯めたお金は墓場まで持っていけませんが、油断して散財してしまえば、死後、残った者たちから恨まれ野っ原に捨て置かれかねませんので、自ら墓穴くらいは掘っておかなければいけない、背筋も凍る現実です。

熾烈な競争社会を生き抜く

いやぁ先日虫垂炎で手術しちゃってさ、丸五日も入院しちゃったよ。
てことは腹に穴を空ける簡単な手術で済んだんだな、俺なんてバッサリ腹を切ったから大変だったぜ。
いやいや、俺だって昔、尿管結石の手術で十日だぜ、石がでかくってさ、あの痛みは虫垂炎の比じゃないね。
いいや、俺の尿管から出てきたのなんて前代未聞のサイズだったんだぜ…て、同病相憐れむ気ゼロ。

そいつはちと虫がよすぎる

せっかくの寓話を書き換えて、いい虫の話にしてはいけないのです。
働き者のアリと怠け者のキリギリスの場合、冬が来て食糧難に陥ったキリギリスの「困った時はお互い様」などという口上にほだされ勤労の成果として獲得した備蓄を分け与えてしまう甘いアリさんでは駄目なのです。
努力しない者も報われる、そんな虫のいい話を認め出したらキリがありません。

ほんとはヤカンのお湯です

「茶の湯」を、お茶を入れるためのお湯のことと思っていたら笑われてしまいました。
なんにしても、ひとつの日常習慣を「道」にまで仕立てあげてしまうことには必ず功罪どちらも伴います。
極度に形式化された作法の上に成り立つ文化はともすれば、それ本来の享受者である大衆を疎外しかねません。
茶の湯も知らないくせに偉そうなこと抜かすなと叱られれば、ごにょごにょとお茶を濁すしかありませんけど。

焼けてる餅をさらに焼いちゃう?

十分に火も通って適度な焦げ目もついた餅をさらに炙り上げるほどの執念、という揶揄ではありません。
焼き餅を焼くのは、お湯を沸かす、みたいなものです。
嫉妬は愛の証しという一面もあり、確かに嫉妬は愛から発生しやすく、しかしそれも高ずれば、焦がした餅をさらに火にかけるほどの間違った激情へと変容しますので注意してください。

甘く危険な罠

心でも体力でもお金でも時間でも、ゆとりは常に大切なものです。
お金なんか必要以上に持たなくていい、などとおかしなことを口にするひともいますが、ギリギリでやっていると時にひどい目に合い、お腹を壊したりします。
忘れていた頃に棚からひょっこり出てきたぼた餅なんて、とうに腐っていたに決まってますよね、うー。

忸怩たる思いはじくじくと

仮に、忸怩をじくじと読むことができたとして、しかし意味も伝わらないのでまさに忸怩たる思い。
学や教養のある、もしくはあると思い込んでいる立派なひとたちは大抵が素直ではありませんから、みずからの恥を大っぴらに認めたくないのでしょう、すぐにこうした難解な言葉に逃げてしまいます。
忸怩たる思いに、少しでも心がじくじくと痛んでくれていたらまだ救われるのですが。

木っ端の火では夢がない

なるほど河童の存在を証明することはまだまだ現実的ではないかもしれませんが、河童の不在を証明することはそれ以上に困難を極めます。
そうであるなら、全力で想像力を働かせ未確認生物の放屁を思い描いてひとつの罪もありません。
罪はありませんが、だからといって別段なにか得をするような事態にもなりませんけど、それこそ屁の河童です。

水掛け論を誤解している、していないの水掛け論

単に言った言わないを押しつけ合うのでは全然おもしろくありません。
確かに聞いた、こちらの独り言が勝手にそっちの耳に入っただけ、いや私に向かって確かに言った、内緒ごとを堂々と盗み聞きしやがって、いやいやいや…と、これが正式な作法です。
つまり、昔のひとのユーモアを大切にしていけたらと思うのです。

歳のせいではなく脳の限界です

一、二、三ときて、いきなり四となるのには理由があります。
人が視覚的な数量を瞬時に把握できる限度が大体「三」までだそうで、横棒が四本以上になると「いち、に、さん、し…」と目で追って数えなければ、脳みそが途端におぼつかなくなるとのこと。
ところで、歳を取ると自分の年齢を忘れがちになりますが、これもまた脳の自然な機能なのでしょう。

鳴くし飛ぶし

慎重に機をうかがう内に肝心なタイミングを逃してしまう失敗はありがちなことです。
それとは逆に、時代の三歩先を行き、世間の評価が追いついてくれないという話もよく聞きます。
遅れてきた天才、早すぎた天才、しかしどちらにもなれそうにない見込み場合、普段から人並みに鳴いたり飛んだり精一杯生きていこうという姿勢は大切な気がします。

まるきり似てない者どうし

夥しい数の漢字が存在する中で、凸と凹ほど完璧な組み合わせはありません。
その完全な結合を理解するのに、これほど言を俟たないペアも珍しいのではないでしょうか。
世間一般、友人、恋人、夫婦、あらゆる組み合わせが凸と凸、凹と凹ではうまくいかない道理です。
凸凹の道は進むのに困難ですが、凸と凹とで仲良く手を取り合っていきましょう。

ものの価値それぞれ

月を愛でつつすっぽん料理を楽しむなどは、実に日本ならではの風流です。
でも残念ながら、そういうことではないみたいです。
ふたつを対比させる想像力の逞しさといったら、かぼちゃとワインを並べる放胆さに匹敵します。
しかしどちらの組み合わせも、一度試してみる価値はありそうですね。

社会の円熟

言葉の解釈は時代とともに変化していくもので…「枯れ木も山の賑わいと言いますし、会合には是非出席ください」なんていう表現が罷り通る場合もあるそうです。
実際に枯れ木で山が賑わうかどうかは置くとして、世に言う高齢化社会なんてものは勘違いであって、いよいよ円熟味の増した社会と捉える視点が大事です…おや、お年寄りが枯れ木だなんて、そもそも誰も言ってませんか?

みかん色の手

みかんを食べ過ぎると手が黄色くなります。
色の表現は不思議なもので、赤、青、白、黒などはそのままで形容詞の語幹となります。
茶や黄は「色」をつければ形容詞として使えますが、緑なんかはどう頑張っても形容詞にはなりえません。
これまた不思議ですが、すいかを食べ過ぎてもすいか色の手にはなりませんが必ずお腹を壊します。

本番はこれからです

焼き立てアッツアツのたこ焼きをむやみに口の中へ放り込むとひどい目に遭います。
ひと口噛むと、トロトロの中身が流れ出て口の中を襲います。
口中やけどしそうになり、ハフハフとろくに噛まずにごくりと飲み込んで、しかし悲劇はそこから始まるのです。
喉元過ぎれば熱さ忘れる? そんなぬるいことを言ってはいけません。

二度寝る人は三度(以上)寝ますね

あと五分あと五分を一体どれだけ繰り返せばいいのでしょうか。
最初から限界まで寝る覚悟を決めれば済むものを、懲りずに自分の寝起き能力を過信してしまうのですね。
一回目のアラームで起きた実績は一度もないし、三度寝の正直もありません。
背水の陣…いえ、たかだか寝坊の目覚まし時計の話には実にもったいない言葉です。

豆腐の角に足の小指をぶつける

この馬鹿野郎、豆腐の角に頭をぶつけて死んじまえ…なんて物騒なせりふがあります。
いや、馬鹿野郎は確かにひどいですが、ぶつける相手は豆腐の角だし、それほど物騒でもないかもしれません。
同じく豆腐の角に足の小指をぶつけてもまったく痛くないでしょうが、想像してみるに、そもそも足元に豆腐が置かれていることはどこか物騒な事態なのかもしれません。

そもそものものの本

ものの本によると…という言い回しがあります。

ものの本。
なにやら専門的な記述のされた、あるいは信頼の置ける中身が保証された、しっかり体系立った様式の書物。
ざっとそんな意味合いでしょうか。

上記の定義を十分に踏まえながら、本企画は少しの謙虚さもなく堂々と「ものの本」を標榜しています。
しかし、実のところまったく大層な了見ではありません。

  ◇

何気なく手にとって開いてみたら予想していたより少しだけおもしろいことを見つけられた。
ふと覗いてみただけなのだけれど、またいつか訪れてみてもいいかもしれない。
それくらいの軽い程度のひっかかりになる、ちょっとした冗談も大いに許される、気楽で新しい形の「ものの本」があっていいのかも。
本企画はそんなひそかで控え目な思いも込めて作られています。

  ◇

ウェブサイトの体裁を整えるだけの目的のために、少し堅苦しく思われるようなページも用意しましたが、面倒と感じたらすっかり無視してください。
自由で気軽な気持ちで気になったところだけを楽しんでいただけたら、それで十分に喜ばしいことと考えています。

企画目録をどうぞ

結局このウェブサイトではどんなことが企画されているのか。
という基本的な疑問が浮かんだ場合に、きっと分かりやすいのが「企画目録」です。
もしくは場合によって、余計に分かりにくくなるのかもしれません。
しかし、とっかかりはこの「企画目録」であるはずと考えています。

  ◇

もし何か感じるものがありましたら、その直感を信じて中を覗いてみてください。
何も感じるものがないという時でも、どうか一か八かの勇気を出してみてください。
はずれクジを引いたとして、ここで失うものはありません。

もっとも、企画と名づいているものの、ほぼすべて思いつきの道楽みたいなものかもしれません。
なので肩の力はすとんと抜いて、寛容な心を持って、やさしい目で見つめてください。

  ◇

本企画そのものの着想や思想などについてもう少し知りたい場合には、こちらの「宣言のページ」をご覧いただくとよいかもしれません。
いやに長たらしい上に、所々に小賢しいことが書いてあるかもしれませんが、一歩踏み込んだ理解につながることも。

だからといって一切気負うことなく、いつも遊び心だけは忘れませんよう、よろしくお願いします。