こうして著作権についての個別ページを用意すると誤解されやすいかと思います。
しかしここで伝えたいことは、本ウェブサイトにおける著作権の強固な主張ではありません。
むしろその反対の性質のものです。
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現行の著作権制度の仕組みは実に複雑です。
複雑なだけならまだしも、制約の及ぶ範囲が広すぎて強力です。
ごく一部の例外を除き著作物の利用はがんじがらめに禁止されていて、その実態はインターネット社会の時代性に合っていないようです。
情報の自由な共有はインターネット社会における最大の有益性のひとつですが、普段何気なく操作している使用方法も場合によってただちに著作権法違反とみなされる可能性もあります。
時代や実情にそぐわない著作権制度への対応も広く進められていますが、絶対的な解決法の確立には到達していません。
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ちなみに、有用な対応策のひとつに「ライセンス制度」というものがあります。
広範囲にわたり著作物の利用を禁止している著作権法を柔軟に改正することは現時点ではかなり難しい問題です。
しかし利用禁止原則の発想を逆手に取り、著作物の利用に著作権者側から自由度を与えることのできる仕組みを目指したのがライセンス制度です。
著作権法では自動的に禁止される利用行為の内、権利者が許容できると判断した部分に利用許諾宣言をするものです。
こうしたライセンス制度は、信頼ある団体によりいくつかの世界的規格が制定され、場合や条件などによって使い分けられ、著作権者や著作物の利用者に多大な恩恵をもたらしています。
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このような著作権制度や周辺事情を念頭に本ウェブサイトの運営を考えた時、著作権の問題に関し公に示しうる姿勢として考えられたものは三通りあります。
- 1:これまでの通例に倣い、すべての権利保持の表示をする
- 2:いづれかのライセンス制度を採用し、利用許可範囲を広げる
- 3:柔軟性と自由度を重視し、コンテンツを独自にライセンスする
最終的にどの道を選択するのか、これは実に悩ましい問題です。
1の選択肢は最初に消えました。
通例に倣うことが一番気楽な道であることは明白です。
しかし、その道がインターネットを土壌として急速に成長拡大している自由闊達な共有文化に通じにくいこともまた明らかです。
もっとも、著作権は基本的にその権利の所在を示すことなしにも発生する独特の性質を持っています。
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結論を言えば、2と3の内どちらか一方を選びきれませんでした。
この態度はまったく優柔不断であり、下手をすると1を選ぶよりも質が悪いかもしれません。
それを承知で、現時点での姿勢を新たに示すことになりました。
この姿勢を選ぶ理由や動機もまた複雑なのですが、ごく簡潔に要約するならば、2の持つ長所・短所と3の持つ長所・短所との整合がつききらなかったということになります。
All rights rivised.(意:すべての権利は改定されています)
結果として、本ウェブサイト全ページの最下部にこのような表記をしてあります。
冗談にもならない悪ふざけのような、単なる言葉遊びのような、なんとも評価しようのない表現を使いました。
しかしこれは悪ふざけでも言葉遊びでもありません。
いや言葉遊び的な気持ちは少なからず入っています。
そして3つ目の選択肢をぬるま湯で薄めたような後味の悪い感じかもしれませんが、本質は悩みに悩んだ末の意思表示なのです。
この表現の最大で最悪の問題は、権利がどのように改定されているのかが不明瞭なところです(緩い方向へ改定されていることは間違いありません)。
こうした曖昧さや不明瞭さを解消する為に2つ目の選択肢があるわけですが、既存のライセンス制度も万能ではなく、いづれかの全面的採用に踏み切ることはついにできませんでした。
その有効性が必要にして十分であると判断できた場合に限り、一部のページに既存のライセンス制度(ここではクリエイティブ・コモンズ・ライセンス)を採用することにします。
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さて、ではライセンスされない大部分のページに関してどう解釈すればよいのかという問題が残ります。
ここまで長々と書いてきて実に無責任な言い方ではありますが、本ウェブサイトに自然発生する著作権については鷹揚な態度に構えたいと考えています。
該当コンテンツの無鉄砲な利用(乱用)はさすがに控えていただけたらと思いますが、現行の著作権制度が規制するような厳しい利用規定はあまり気にせずにいてください。
他への参照は端からなんら法的規制を受けることはありませんし、大幅な引用や二次利用に関しても一般常識の範囲内であればさほど気にすることはありません。
仮に上記問題で判断に悩むようなことがあれば、本企画まで連絡をいただけたら解決するかと思います。
本来そうした手間やコストを減らす為にも各ライセンス制度は作り上げられているのですが、時には前時代的な土臭い方法で互いのコミュニケーションを図り、柔軟に意思交流を楽しむのもまた乙なものではないでしょうか。