奇人デマゴギー囁く

人の噂も七十五日。
さて、七十五日は短いものなのか、それとも長いものなのか。
そもそも、この話は本当でしょうか。
種類によるかもしれませんが、一度どこかで誕生した噂というものは発信者の意図を離れた後、細くとも存外に長く息が続くもののような気がします。

そんな噂の行方をどこまでも追いかけてみたら…。

プロフィール
本名 クイジーヌ・デ・マゴーギ
年齢 非公表
出身 クレタ島(ギリシャ)
性癖 紛れもない真実であるにもかかわらずほとんど世に知られていない貴重な情報、又、無条件で信用するにはあまりにもよく出来すぎていて世間に受け入れられにくい物語の類いを、悪ふざけもしくはまるでジョークのようなとぼけ顔で人に漏らし、流言の体を装い広く社会へ流布せしめることに並々ならぬ情熱を燃やす
信念 嘘をつかない
人呼んで 奇人デマゴギー

囁き - 其の12

愚行はいつまでも続く

二大陣営による覇権争いが勃発した。
人がふたり集まれば諍いは起こる、これは有史以来揺るがない真実だ。
生存欲を持つ生き物としての必然だろうか。
闘争本能、差別意識、排他性、すべて悲しい宿命なのだろう。

カレーライスとライスカレー。
元祖カレーライス、本家ライスカレー、ついに各陣営が真っ二つに分かれそれぞれの正統性を宣言した。
言葉をひっくり返しただけ、どちらも同じではないか、と見るのは間違いだそうだ。
国産米と米国産、ふたつの決定的差異を引用して、まったくの別物であると彼らは主張する。
これまでは、少なくとも表面的には仲良くやっていたというのに。
今では、相手を壊滅させる勢いで、最終戦争に突入したと息巻いている。

しかしながら、争いは始めから泥沼化の様相を呈している。
当然だろう、良識ある第三者からしてみれば、白黒つけようのない問題なのだから。
なにをどう決着つけたいのかさえ定かではなく、カレー業界は今後どこへ向かうのだろうか。
ところが、よりによってそんな折りに、新しい勢力が覇権争いに名乗りを挙げた。
どこからともなく突如として現れた彼ら陣営の言い分はこうだ。
そもそも、カレーではなくカリーなのだよ。
こうなるともう、なにがどうあれ、誰も手に負えない始末である。

囁き - 其の11

禁断の果実をこの手に掴む

勝負の世界に公平性を持ち込むのはセンチメンタリズムである。
センチメンタリズムが、スポーツという、ルールを伴った勝負事を作り上げた。
野生の世界ではルール無用、待ったなし、生死を賭けた真剣勝負しかない。
もちろん、人類が野生の時代へ逆行する必要はない。
種としてより生き残るために、人類はセンチメンタリズムを発明したとも言えるのだから。

しかし勝負があくまで勝負であるなら、勝ち負けの決着はつかなければならない。
どこまでも公平性を追及し、永久に引き分けのままでは歪んだセンチメンタリズムに堕落するだけ。
つまり、最終的な場面では公平性は当然のことだが否定されてよい。
いつか均衡が崩れるところに、スポーツであれ、勝負事の醍醐味はある。

さて、そのセンチメンタリズムが頭から否定される重大な事態が起きた。
いや、近い内に起こるかもしれない。
果たしてそれはどこで起こるのか。
皆が知るところの、至極簡潔にして明瞭な勝負法、あのじゃんけんにおいてである。
グー、チョキ、パーすべてを凌駕する究極の第四の手がついに誕生したのだそうだ。
夢のような嘘のような話である。

実戦に投入されたことは一度もないため全容はまだ明らかではない。
その指使いからして今のところ謎のままだが、名称はカッペではないかと噂されている。
じゃんけん界の勢力図が一気に塗り替えられる可能性がある。
いや、もとより、この手は自爆覚悟の最終兵器なのかもしれない。
そうだとすれば、じゃんけんの世界にカッペの冬が訪れることも想像される。
センチメンタリズム以上に、人類の知性と理性を信じたいところではある。

囁き - 其の10

ニワトリと卵ではない

どちらが先かを見極めようと、大の大人が躍起になるなど実に不毛な行為である。
ややこしい議論は抜きにして、ここでは結論だけ述べよう。
ニワトリと卵は、その最初の瞬間、同時に存在を始めた。
誰がなんと言おうとも、これが最終的な答えなのである。
親子丼の中を見れば、ふたつは喧嘩もせず仲良くやっている。
それに倣いこちらも公平に扱おう、これが理性ある大人の、大人らしい対応というものだ。

しかし、泥棒が先か、ほっかむりが先かという問題は別である。
これには明確な順序があるのだという。
盗っ人心理研究の世界的権威である某博士が長年の臨床試験から導き出した答え。
泥棒は身分を隠すために手拭いをほっかむりするのではない。
手拭いをほっかむりして初めて、ひとは泥棒になるのだ、と。

ひとは生まれながらに悪人たるのではない、どこか救われる気にもなる研究結果と言える。
泥棒が先か、ほっかむりが先かと問われれば、今後は声を大に、ほっかむりが先だと答えよう。
そして、酒宴のおふざけなどで、迂闊に手拭いをほっかむらないよう気をつけてもらいたい。
悪の道はそこからふと始まってしまうのだから。

囁き - 其の9

越えられない壁

人間は考える葦である、とはパスカルの言葉だ。
人間は考える足でもある、というのは誰の言葉か知らないがこれもまた真なり。
二足歩行を始めた時点から我々は他の動物に比べ飛躍的な進化を遂げた。
圧倒的な移動力をもって他の動物に抜きんでる存在となった、これが考える足たる所以である。

そして、より速くより遠くを求め、人間はあらゆる努力を惜しまずにきた。
究極の最終目標は瞬間移動である。
さすがに究極の地点にはまだ辿り着いていないが、ついに夢のひとつを叶えた。
光速とほぼ同じ速さで地球上のどこへでも人間を移動させる装置の開発に成功したという。
さすがに光速を超えること、光速に並ぶことはまだ無理だが、夢は捨てずにいたい。

光速に近い速さで移動するということは、確かに夢のような嘘のような話だ。
しかし、人間が一旦その場で消失し瞬間的に別の場所へ出現するのではない。
つまり、移動先までの道程に障害物でもあろうものなら光の速さで衝突してしまうということ。
大きな夢はひとつ叶ったが、我々の前に新たな壁が立ちはだかったわけだ。
しかし諦めてはならない、我々に越えられない壁はない。

囁き - 其の8

終わらない夏

誰にでもうっかりはある。
そして、うっかりには程度の差がある。
うっかり弁当を家に置いてきた、うっかり核ミサイルの発射ボタンを押してしまった。
同じうっかりでも結果の深刻さはとてつもなく違う。

天文学者にもうっかりはある。
彼らもひとの子、ついうっかりとうっかりしてしまったのだろう。
もちろんこのうっかりが深刻な結末を用意するのなら事は重大だ。
昼食抜きという程度ではないが、地球滅亡ほどのうっかりでもない。
許すべきか許さざるべきか、この種のうっかりは判断に悩むところではある。

今年はなんと60万年に一度あるかないかの、うるう夏なのだという。
あまりに希少な現象なので、さすがの学者連中も忘れてしまっていたらしい。
今年の夏は通常の夏より一回分長いのだそうだ。
これは北半球での話であって、当然、南半球ではうるう冬ということになる。
夏物、あるいは冬物をうっかりと片づけてしまってはいけない。
天文学者のうっかりに乗っかってうっかりしているとおそらくひどい目に合うだろう。

囁き - 其の7

奇跡の脱出

レモネードではなく、あくまでもラムネの話である。
銭湯や夏祭りの屋台には欠かせない、あの変形ガラス瓶に入った清涼飲料のこと。
誰もが一度ならず飲んだことがある国民的ドリンクでもある。

この話には、百人中百人がまさかと目を剥くのは間違いない。
信じる信じないはもちろん個々人の自由意思に委ねられている。
さて、勘のいい人間なら大方の想像はもうついているだろうか。
中に仕込まれたガラス玉を取り出す方法は、瓶を割る以外に存在しないはずだった。
ところがなんと、ついに「奇跡の角度」が発見されたのだ。
ある限定された特殊な傾きを与えることで、瓶を割らずとも玉がつるりと出てくるという。

その角度は容易に再現できるものではなく、数値化できない絶妙な傾きとのこと。
しかし、その奇跡の角度は確かに存在する。
強い信念を持っているなら、根気よく挑戦する甲斐はあるはずだ。

それなら同じ要領で、出てきたラムネ玉を元に戻すことも可能ではないかと考えるのは当然だ。
しかし、そこがラムネ瓶の神秘なのだろう。
一度奇跡を越えてしまったものを復元させることは天地をひっくり返しても無理なのだ。
どこまで技術が進歩しても、一定の領域は不可思議のまま残しておいた方がいいこともある。

囁き - 其の6

通信の歴史的転換

世の中には不毛な論争というものがごまんとある。
議論が熱を帯び、論争すること自体が目的となってしまうこともしばしばだ。
しかし一旦冷静になると、それほど深刻な問題など始めからなかったのだと気づく。
誤解、偏見、差別などはこうした意味のない争いから生まれるものだ。

切手の裏は舐めるべきか否か。
この議論は、切手そのものと同じだけの長い歴史を持つ。
舐めれば体に害はないのか、受け取るほうの気持ちを考えてみろ。
とかく、否定的な意見が優勢のきらいもあっただろう。
そこでこの度、国家通信衛生管理局が明確な通達を出した。
その達しにより、最終判断として切手はむしろ舐めて貼るべしとされた。
糊の効果を最大に引き出すのはひとの唾液である、という研究結果を踏まえてのことだ。
本人に害がないことはもちろん、不衛生な要素はひとつも認められないという。
当局の打ち出したキャッチフレーズは「舐めてこその切手」だそうだ。

そうは言っても、他人の行為を目の当りにするのは気持ちのよいものではない。
エチケットに配慮するなら、極力陰に隠れてこっそりと行うがよいだろう。
ちなみに、指先を舐めて紙をめくる行為はどこからもお墨付を得られる予定はない。

囁き - 其の5

夢の懸け橋

ひとの夢を笑ってはいけない。
どれほど荒唐無稽だろうと、夢を見なければ新しい現実はやって来ない。
もし、かぐや姫の物語を馬鹿にしていたら、人類が宇宙へ出ることもなかったかもしれない。
夢は空想から科学への懸け橋となる。

子どもの純心は大人の理性をはるかに凌ぐ。
雨上がりの虹を見て、橋を空想するのは豊かな感受性だ。
その感受性をいつまでも忘れなかった大人たちが、ついに途方もないことを成し遂げた。
虹の橋を実用化、それである。
あんなものは単なる光学現象に過ぎないと笑うひとは是非、現物を歩いて体験していただきたい。
直ちに交通の利便性に寄与するものではないが、未来へ繋がる成果であることは間違いない。

夢は、見なければ叶わないものである。
同じ研究者グループが、次はオーロラを家庭向けカーテンとして実用化すると意気込んでいる。
繰り返す必要はないかもしれないが、夢を笑ってはいけない。
遠くない将来、あなたの部屋にオーロラのカーテンが吊るされているかもしれない。
夢の扉を開けられる心の自由なひとたちにとって、未来は実に明るい。

囁き - 其の4

王者、ついに兜を脱ぐ

彼らは負けを認めて兜を脱ぐのではない。
むしろ反対である。
彼らに敵はいない。
無敵の王者に、飾りだけの兜などもはや必要ない。
いや、初めから敵などいなかったのだが、今となってその現実に気づいたのだろうか。
なぜこのタイミングなのか、それは誰にもわからない。

彼らは多くの亜種をひと括りに、一般にガラパゴスゾウガメと呼ばれている。
特異な生物相を持つことで知られる、あのガラパゴス諸島に生息する陸ガメたちだ。
ことの始めから絶対王者だったはずの彼らが今、重く堅牢な甲羅を突然脱ぎ捨ててしまった。
甲羅を捨てたカメをカメと呼んでいいのか知らないが、これは事実である。
全数の確認は済んでいないが、おそらくすべての個体が甲羅を捨てたに違いないと関係者らは判断している。

生命は進化する。
その過程で、より生きるために、必要なものを獲得し、不要なものは切り捨てる。
時間をかけ少しずつ、あるいは唐突に。
カメであるための必要条件である甲羅を捨て去るとは、彼らにもなにか思うところがあったのだろう。
もしガラパゴスへ出向く機会があるならば、その雄姿を是非確認してもらいたい。
間違っても、あんなものは金輪際カメじゃなーい、などと悲しいことを言ってはならない。

囁き - 其の3

重力からの解放、その実際

かつて、人類は夢と希望を求め海に出た。
まだ見ぬ土地に思いを馳せ、大きな野心を抱きつつ。
明日へ踏み出した第一歩から大航海時代は始まった。

今、我々は無限に広がる宇宙の海に人類の未来を見ている。
かつての新大陸で得たものと同じだけの夢や希望を手に入れられるだろうか。
いや、きっとそれ以上の輝ける時代が到来するはずだろう。

宇宙空間における数々の実験から、すでに新しい希望の光も見えている。
その内のひとつが、神経細胞=ニューロンの想像を越える増殖と肥大効果である。
これまでとは全く別の形のコミュニケーション能力を獲得する契機にもなると言う。
人類が経験したことのない無重力空間が、我々の体に新しい進化をもたらすのだ。
現時点では想像もできない世界が待ち受けているのかもしれない。

ところが、実際には明るい話ばかりでは済まない。
ニューロンの肥大を上回る、脂肪細胞の巨大化が無視できない課題となっているのだ。
単純に考えれば十分に納得のいく話だ。
重力からの解放は、我々に思わぬ試練を与える。
かつて人類が経験したことのないデ…いや、つまり肥満体が誕生する可能性が実に濃厚なのだ。
肥満の増加を長らく社会問題として抱える欧米諸国の頭を悩ませる種となってしまった。
実のところ、この葛藤を最大の理由として、人類の宇宙移住計画は暗礁に乗り上げているという。
人類が最初に宇宙へ飛び出して数十年、なんとも矮小な話ではあるのだが。

囁き - 其の2

ドッペルゲンガー界の大御所、突然の引退

ドッペルゲンガーは超常現象や怪奇現象ではない。
また、精神医学等で説明されるような心的現象などでもない。
彼らは純然たる実在だ。

世界に散らばるドッペルゲンガーたちは、ある種のボランティアである。
彼らはすべて無償にして、世界のあらゆる地点に現れうる。
人真似のスペシャリストではないが、神出鬼没のエキスパートと言っていいかもしれない。

「もう年を取り過ぎて、思うように歩き回ることはできない」というのが表向きの理由だ。
真相は彼本人しか分からない。
そして彼が一体誰と誰のドッペルゲンガーだったのかも明かされることはない。
確かなのは、ドッペルゲンガー界のベテランがまたひとり姿を消したこと。
その知らせを受け仲間内には衝撃が走ったが、こうした問題はまったく仕方のないことなのだ。

さて、人生にはスパイスが必要だ。
なにかと沈鬱なムードに陥りがちな我々現代人には特に。
トリックは巧妙であれば巧妙なほど人は喜び、驚きに息を飲む。
もしドッペルゲンガー要員に名乗りを上げてもいいという者がいたら連絡をもらいたい。

囁き - 其の1

WPCの下した最終決定

まず、WPC※1の存在自体が世界的にほとんど知られていないことはある種の驚きである。
彼らは決して秘密組織ではない。
なるほど確かに、積極的な広報活動が展開されているわけではないので無理もないのか。
※1)WPC…World Pencil Committee:世界鉛筆委員会

先日、彼らが大きな決断をした。
今後どこかの時点で、全世界における鉛筆の新規製造を一斉に終了させるというのだ。
世界中の鉛筆製造従事者はすべてこの委員会の決定に従うことになる。
これは大きな事件ではあるが、大騒ぎしてパニックに陥る必要はない。
今すぐにという話ではないし、鉛筆の余剰在庫は世界的に見れば腐って捨てるほどだ。
それに今の時代、一部の分野を除けば、鉛筆が積極的に使用される場面など見ることがない。
鉛筆はもはや絶対の存在ではなく、優秀な代替品ならいくらでもある。
考えてみれば、すべて時代の必然だろう。

なんにしても、鉛筆がいつかは世の中から消えることが確定したのだ。
自然消滅する運命にあったものを、一部の人間の意思で少しだけ時期を早めただけの話でもある。
ちなみに、私はこの週末にでも60ダース※2ほどの鉛筆を手配しておく計画にした。
※2)この先使い切れる数ではなく、万が一品不足になった際には売りさばけば生活の足しになる