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幸せの予感
新年最初の朝。
「どっちの色がいい?」
訊ねる君の両手に、新しいハブラシ。
ささやかな喜びに溢れる日々が、また始まる。
おたより
暇をもてあますどころか、暇に弄ばれています。
レモンの入れもん
AIのセンスに負けた。
日没
長い夜に備え、何も言わない友の胸を借りる。
秘蜜
もしも口が裂けたなら、何をおいても言いたいこと。
「私、あなたを失ってみたいの」
ゆく夏
町の学校より、一足早く二学期を迎える山の子。
夏休みの最終日、天気は雨。
かき氷を頬張る手を止めて、ダウンジャケットを取りに走る。
夏の約束
食べる前と、食べた後。
枝豆は、必ず別のお皿にいれよう。
空白
とうとう気づいてしまった。
無為に過ごす時間が多すぎること。
雨のせいでも、連絡をくれないあなたのせいでもないことも。
風の色
つゆの頃に吹く風を、トパーズ色と歌った人がいた。
その言葉に、幼心は一瞬にして魅了された。
それからずっと、田んぼの水面を吹き渡っていく風はトパーズ色に見えている。
健康志向
カフェインレスコーヒーに、豆乳と生姜パウダーを加えて飲むのが、最近のお気に入り。
ふと気づく。
豆乳と生姜の組み合わせって、冷や奴じゃないの。
ならば。
冷や奴にアイスコーヒーをかけてみたら、どうかな。
遅咲きの不惑
先日、誕生日を迎えました。
終始、頭の中にはアホなことしか浮かびません。
いくら歳を重ねてもこのままなんだという自覚が、確信となりました。
ねずみ色のねこ
路地でよく、猫を見かけるようになった。
今も、グレーの野良猫が店の軒下で寝そべっている。
「ねずみ色のネコ」
声に出してみたら、バカバカしさが一段と鮮明になった。
エイプリルフール
15歳になったとき、好きな人がいた。
その人も、私を好きでいてくれた。
でもそれ以上、どうしたらいいのか分からなかった。
友達でいようと、嘘をついた。
寒い春、別々の一歩を踏み出した。
摂理というには大袈裟ですが
年があけてからずっと、アンゴラの靴下をはいていた。
ちょっと寒さが緩んだ時に、コットンの靴下で出かけたり、家では裸足になっていたら、しもやけができてしまった。
そういえば去年、暖冬だからとたかをくくり、ずっと夏用の靴下を履いていた友人の足は、春までずっとしもやけていた。
深い傷
少し勇気を出して手に入れたものなのに、早々に傷つけてしまう。
そんなことがあった。
自分が望んで手に入れたものを自分で傷つけてしまったときの落ち込みは、けっこうキツい。
傷の修復と気持ちの回復には「時間と根気」が欠かせないことを、歳を重ねて知りつつある。
でも、自分で自分を痛めつけるように無理をしたり、道化を演じてしまうときは?
傷つくしか救いの術がみつからない時を、多くの人はどうやってやり過ごしているのだろう。
棚に上げて
心もとない気持ちがぬぐいきれないまま決断を下す時が、案外よくある
もっと自信がもてたら良いのに…。
いつも歯がゆい。
だけど。
揺るぎない自信に満ち満ちた人に会うと、クルッと向きをかえて走り去りたくなる。
※事実とは異なる場合がございます
灯子の産業遺産覚え書き。
えんぴつと消しゴム、ガソリンと電気、電話とパソコン、山登りとランニング、りんごとペンとパイナップル。
正しさの答え
今年は、年が明けてから年賀状を書くことにした。
そうしたら、「何それ。失礼な人」
と揶揄された。
無礼を測る物差しって、あったっけ。
新年早々人を非難するのと、戴いた賀状に心を込めて返事をするのと、どっちの値が大きくなるかな。
ああ、でも。
その値は大きいほうがいいのか、小さいほうがいいのか、私には分からないんだった。
はざまの幸せ
松の内を過ぎて、街の空気はゆっくりと日常へ戻ろうとしている朝。
君と私は毛布の中でまどろんだまま、暖かな寝返りを繰り返す。
いつもの休日でも特別な休日でもない、気まぐれにおとずれる名もなき時間。
年の瀬
むかし、暮れになると祖母が話していた。
「年を取ると、一年なんてあっという間に過ぎちゃうんだよ」
小学生だった私は、学校へ行かなくてもいい大人が羨ましかった。
早く年を取りたい。
何よりの願いだった。
20代の終わりあたりから、私の一年もあっという間に過ぎるようになってきた。
40歳を越した今は、さらに三倍速くらいの勢いで日々は過ぎて行く。
十数年前から学校には行かなくてもよくなったけれど、早く時が過ぎるのは、やっぱりありがたい。
子供の頃の夢って、叶うものなんだな。
クリスマス・イヴの昼下がり。
焦げてしまったチョコレートケーキの切れ端をかじりながら、今年も退屈する間もなく過ごせたことに感謝する。
とまどひ
聞き手のいない呟きをはじめて、1年が経つ。
瞬く間に過ぎ去っていく日々に、今は、呟く言葉さえもみあたらない。
予感
いつかその日はやってくる。
随分前から、どこかで感じていたこと。
長い秋の夜を重ね、
打ちひしがれる準備はできた。
言いわけしても
引っ越そう。
不意に思い立った。
新しい部屋を決めてから、住み替えのワケを考える。
部屋が手狭になったとか、もっと静かな所がよくなったとか、こじつけられる理由なんていくらでもあった。
でも。
それを話す相手は、一体誰なんだろう。
ハッピーアワー
会いたい人が、次々と思い浮かぶ。
ひとりぼっちの夜。
記念日
夏バテか。
不意に思う。
それは君の夏バテ記念日。
まだ見ぬきみ
「黄身が二つだったから、今日の玉子焼きはこんな色になってる」
高校二年の夏休み直前。
同級生は、お弁当箱の蓋を開けて言った。
その瞬間、私は口をあんぐり開けたまま、動けなくなった。
黄身がふたつの卵??
双子の卵の存在などその時までまったく知らなかったのだ。
あれから25年。
今日、スーパーで卵を買った。
パックの中に、周囲のものより明らかにサイズの異なる個体を発見した。
思い出した。
私はあれからまだ一度も双子の卵に出くわしていない。
もしや。
妙な期待と緊張で、私の小さな胸は今にも張り裂けそうになっている。
山の夕暮れ
山間の集落で、百人一首をすべて諳んじられるおばあさんに出会った。
学校がえりの子どもたちにせがまれ、老婆は歌を詠む。
一首歌いあげるたび、子どもたちは目を丸くして驚きの言葉を交わしあう。
幼い好奇心を満たしてやるように、おばあさんは訥々と話をはじめる。
子どもん頃、お姉さんたちが百人一首で遊びよるのがおもしろくてね。そのうち私も学校にあがって、札を拾えるようになって。
結婚してからは、子どもたちと一緒に遊んだわね。
何年か前までは、孫たちがくるお正月のお楽しみ。
今はひとりでしょう。一日に一回くらいは声を出そうと思ってね。
毎晩三十首、お布団の中で詠んでるの。
遠くで、お寺の鐘がなった。
おばあさんは、喉を小さく震わせながらぬるくなったお茶を口に含む。
夕陽が、子どもたちの影を伸ばしていく。
紫陽花
少し早く目を覚ました朝、ジョギングへ出かけることがある。
今日、雨上がりの公園を走った。
深緑に茂った木々の下、遊歩道のカーブに沿って走っていくと、鮮やかな青色のモザイクがふと目に飛び込んできた。
雨に濡れた紫陽花だった。
子どもの頃、この花は土の酸性度によって色を変えると教わった。
生かされている場所に合わせて自分の色を変える。
そんなの嫌だなと思い、あの頃は紫陽花を好きになれなかった。
時が流れ、多くの人と出会い、別れてきた。
紫陽花への疎ましさも、いつしか忘れてしまっていた。
母の日の母
ゴールデンウィーク最終日の午後。
鉢植えの花を抱え、実家を訪うた。
「んまあ。こーんな大きいの、持ってこんでもいいのに」
母は、深い皺をまとったまぶたを何度も上げ下げした。
陽が傾き始めた頃。
「あら。もうこんな時間」
母はいそいそと立ち上がり、骨ばった手でテレビをつける。
居間に『笑点』のテーマ曲が流れる。
あはは、あはは。
湯のみ片手にした母が、いつもどうりの日曜を過ごしていることに感謝する。
春
開通したばかりの高速道路に乗り、街から少し遠ざかってみる。
道沿いの里山は、緑の息吹に包まれて輝く。
90年代ポップスに合わせ、アクセルを踏む。
水を張った田んぼも、畦のタンポポも、目の端に入ったとたんに流れ去る。
歌いだす私に、青空の雲は微笑む。
白髪なわけ
桜の蕾がほころび始めた頃のある晩。友人とバーガーショップに入った。
店内は、よそ行きの服を着たシルバー世代で賑わっていた。
近くで催し物でもあったのかしらね、などと話して友と別れた。
桜はすっかり散り去って、芽吹いた新緑がまぶしい昼下がり。
同じ店へ立ち寄った。
明るい店内で憩っていたのは、あの夜と同じくご年配のみなさま。
街角のバーガーショップは若者がたむろする場所だなんて、古くさい発想なのね。
思いのほか、時は早く流れていると知り、白髪の増えたわけが急に腑に落ちる。
咳でなくても
ずいぶん前に、誰かが店に置いていった犬のおもちゃ。
裏返すとスイッチがついていて、
「ねえ」と話しかけると、ネエと返してくる。
暇にまかせて、スイッチを入れてみた。
瞬間、くしゃみが出た。
はくしょん!
ハクション!
咳をしてもひとり。
かつての俳人を偲びたくなった。
その橋、歌うべからず
たまに通る道に、小さな橋のかかる場所がある。
橋の名前は、アミダ橋。
渡るとき、クジの歌が頭を巡る。
思い浮かべてはならない。毎回自分にいいきかせる。
うまくいったことは、まだ一度もない。
ピーナツとピーナッツ
「グ・リ・コ」「パ・イ・ナ・ツ・プ・ル」
子どもの頃、きっと誰もがやったことのあるじゃんけん遊び。グーで勝ったら3歩進み、パーなら6歩。歩道橋の向こう側のゴールまで。友だちのじゃんけんパターンや残りの階段数をふまえて戦略を練るのが楽しかった。
懐かしいこの遊びに、未解決の複雑な問題が孕まれていたことを、どれほどの大人が覚えているかしら。
その問題とは、チョキあるいはピーで勝った場合の処理方法のこと。
二本の指を立てるあの形をチョキと呼び「チ・ヨ・コ・レ・イ・ト」6歩前進とするのか、ピーと呼んでピーナツの「ピ・イ・ナ・ツ」4歩なのか。あるいは、ピーナツではなく「ピ・イ・ナ・っ・ツ」で5歩なのか。パイナップルの小さいツは、他の音と同列に扱われているのだから、ピーナッツの小さいツだって堂々とカウントされる権利がある。
戦いの真っ只中にいる者としては、大幅にゴールへ迫れるチヨコレイト6歩が良いかな…と思う。しかしそれだと友だちも自分もチョキとパーしか出さなくなってつまらないうえに、新たな問題を生じさせてしまう。
ゲームの面白さという原点に立ち返ると、やはりピーと呼んでピーナッツ5歩もしくはピーナツ4歩でのルール化が妥当なのか…。
この問題が解決されているのなら、誰か教えに来てほしい。
新しいランドセルを背負った子どもたちが、この路地を通り過ぎていく季節になってしまう前に。
ひくかひかぬか
2日前、お腹が少し痛かった。
珍しいな、と思った。
今日は朝、昼、晩と食事を摂った。
3回めのご飯を終えてようやく、昨日までは食欲がなかったのだと気付いた。
なんとかは風邪ひかないって、本当かな。
異変に気づかないだけなのかも。
こんな風に、のんきなことを考えるのに忙しいから。
春先の旅
春一番が吹いた翌日。駅で路線図を見上げていたら、ふと、ローカル線に乗りたくなってそのまま旅に出た。
乗り換えで降りた駅の待合に、制服すがたの中学生らしき男女がいた。
手を伸ばしたら、ようやく届くくらいの距離を置いて座る二人の後ろ姿が眩しくて、思わず目を細める。
記憶の片隅に微かな痛みを感じる。
二人の恋の行方を、辿り着いた地の神社で願う。
さっちゃんはね。
2月になると、幼馴染のさっちゃんと最後に散歩した小高い丘を訪れる。
さっちゃんはその丘で過ごしたあと長い入院生活に入り、2月の寒い日の明け方この世を去った。
さっちゃんには、生まれつきの病気があって、歩くことはできなかった。たぶん、言葉も話せなかったと思う。
でもさっちゃんは、私の顔をみるといつもニコニコと笑った。
顔を見合わせては笑いあう。
それが、私たちの会話だった。
丘の上に立つと、毎年さっちゃんはたくさんの言葉で語りかけてくる。
さっちゃんの分まで生きるなんて大それた約束はできなかったけれど、さっちゃんは、ずっと私を支え続けてくれている。
銭湯
ほんの小さな気がかりに絡め取られてしまう日は、知らない町の銭湯へ自然と足が向く。
「あーれま」「ほうねぇ」「そいでもなぁ」
暖簾をくぐると、どの町の銭湯でも合いの手ばかりの会話に花が咲いている。
皺くちゃの肌、無造作にまとめられた白髪、骨ばった背中をさらす老婆たちにまぎれ、洗い場の片隅で化粧を落とす。
湯気の立ちこめる浴室に誰かの鼻歌が響く。
ふっと、頬が緩んでため息がもれる。
ぬぐいきれなかった小さな気がかりが、湯けむりの中に溶け出していく。
雪の知らせで
「明日は荒れそうだから、やはり行かないでおきます」
大雪が予想された日の前夜、あの人から断りの電話があった。
来てもらう約束など、していないというのに。
予報がはずれたら…。
いつもより早く目覚めて初めて、淡い期待が生まれていたと知る。
冷えた空気に肩をすくめながら、カーテンを開ける。雪は、音もなく舞い降りていた。
この冬初めての雪は朝のうちにやみ、雲間から差し込む陽の光が街を銀色に輝かせた。
ビルの間を縫って吹き付ける風はやがて、澄んだ夜空をこの路地裏にまで運びこんだ。
「べつに、約束なんてしてなかったのよ」
こごえた夜空でまたたく星たちが、私の短いつぶやきに耳を傾けてくれた。
心のすがた
「昨日か今日、誕生日だったよね。おめでとう」
忙しいから仕方ないと、勝手な言い訳を自分にして、離れて暮らす父へぞんざいなメッセージを送る。
「ありがとう。今日です」
メールなど苦手な父から、短い返事が届く。
音もなく流れていく時間の中の一瞬。
形をもたないはずの父の心が、温もりをもって立ち現れた気がした。
新しい日常
初日の出をおがむ。
おみくじを引く。
福袋を買う。
除夜の鐘で払ったはずの煩悩に、あっというまにまみれる。
でもそれは、ささやかな希望だったりもする。
ほんの少し目線を遠くへやり、前を向くための小さな願いをちりばめて、たくましく日常を迎える。
おとしとり
冷たく晴れた冬の日の午後。
傾きかけた陽の光の中、一人と一匹の犬が向こうからやってきて、すれ違い、遠ざかっていった。
昔、笑ったような顔の犬を飼っていた。
年老いたその犬は、ある日忽然と消え、二度と帰らなかった。
今年も暮れていく。
また一歩、命の終わりに歩みをすすめている。
おまけの話
幼い頃、お菓子についてくるおまけを夢中になって集めた。
学校から帰り、なんでもないおもちゃを詰めた宝箱の蓋をあける。
なぜだかホッとする瞬間だった。
開店前。
つまみを作り、折り紙で箸袋を折り、一輪挿しに花を挿す。
「風前のともしび」に添える。他愛のないおまけたちができあがる。
店に立ち寄る誰かの心が、ホッとしますように。
ささやかな願いを胸に、看板を灯す。
まちわぶ ぬくもる
深く差し込むかわりに、足早にさってしまう午後の日差し。
街のイルミネーションが、冷えた夜空に映える。
信仰の果てに多くの犠牲者を出した事件から、今年はちょうど20年だった。
唯一の救いを求めた信者たちは、他の人々と何が違ったのか。
-彼らは煩悩をもてない人たちだった。
ある心理学者はそう答えた。
そのエピソードを話してくれた仲間たちを思い出す。
温かい料理、響き合うグラス、親しい人たちとの再会。
まもなく訪れるであろうひとときに、胸を躍らせる冬の窓辺。
人偲いの歳時記
2015年11月25日夜。
女優の原節子さんが亡くなっていたというニュースが報じられた。
人知れず亡くなられていたことより、ご存命だった事実に驚く。
教育テレビ『できるかな』のノッポさん、俳優高見映さんは81歳、ご健在。
相方ゴン太くんは一昨年の11月25日に幽明境を異にした、享年81。
朔風払葉、冷たい北風が木の葉を散らす頃のはなし。
時のうつろひ
机の上の片隅にアイスキャンディの棒。
かれこれ三か月、ずっと同じ場所に置かれている。
褪せることない「あたり」の三文字。
いつの頃からか、駄菓子屋のおばちゃんの姿は街から消えた。
スーパーのレジでも、アイス一本と交換してくれるだろうか。
木枯らしに震える街の灯をながめて、途方に暮れる秋の夕暮れでした。