冒頭の宣言

人の営む文化の様相は時代や地域といったそれを取り囲む環境により柔軟に変態するもので、その領域自体も常に一定の枠内に収まるようなものではありません。

狩猟や採取といった行為を生の中心とする前生産的な活動も含まれれば、消費と生産の永久運動に支えられる文化もあります。
相互扶助を社会形成の拠り所とするような思想文化もあれば、排他主義を徹底することで自律や統制を守ろうとする村文化もあるかもしれません。

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また、文化はその側面を瞬間的に切り取って観察したとしてもいつでも安定はしていません。
究極の完成形態を目指すことが文化に内在する本質目標ではない以上、様態が安定的でないことは当然のことで、むしろそれは正常な状態です。
時に流動性を失い膠着状態に入る文化もあるでしょうが、その期間は限定的のはずです。

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文化は同時に、いつでも正解を持ち合わせません。
最終形態を目指すことなく、むしろ変化こそが文化活動の原動力と考えればこれも当然のことです。
不変の形式を持たず、安定の状態を保たず、文化はそうして豊かで多面的な様相を誇るのです。

冒頭の宣言

その一

本企画は、ウェブを起点とする比較的現代的な文化活動にも焦点のひとつを合わせています。
同時に、インターネットによるウェブシステムそれ自体を文化の作動装置の内の重要な要素と捉えています。
もちろん、ウェブに限らない他の通信方式も現代のインターネット文化には欠かせないものでしょう。

しかし、インターネットに対する観念がもはや仮想社会という範疇に収まりきらなくなった今の時代でも、元来の意味での実社会における人の生々しい活動こそが文化の原始点であることをまず確認します。

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文化は停滞する時間と限られた地理の中に留まり続けることもありますが、多くは時空の広がりを持ち、伝播・発展・継承される一面を持っています。

インターネットという新しい情報の流通基盤の発明がその側面の利便化に大いに役立ち、それが社会に及ぼす影響は指数関数的な増長を続ける現状です。
それゆえつい見落としがちになりますが、文化の本体があくまでも主体者=人へ帰属することには強く留意していきたいです。

冒頭の宣言

その二

文化の発展・継承にとって決して無視できない存在となったばかりではなく、ひとつの文化そのものにまで進化したインターネットという社会基盤。

万能かに思われるほどのこの優秀な情報網は、これまでにないまったく新しい形の文化活動を生み出すことに成功していますが、同時に、それまでは考えられなかったようないくつかの問題の発生源ともなってきています。

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著作権にまつわる新しい問題がその内のひとつと言えます。
インターネット誕生の遥か前から存在する著作権という考え方は、第三者による作品の無断複製や盗用を禁止しますが、それは著作者の利益を不当な行為から保護することが第一の目的です。
そしてそれにより、文化全体の健全な発展を保証するのです。
ところが、著作権の機能は永久不変に完全無欠なわけではありません。

文化を継承させる手段としてのインターネットが生まれ、インターネットそれ自体が文化となりうる現代においては、既存の著作権という概念では覆い切れない事態も確認できます。

冒頭の宣言

その三

インターネットの発展に伴う著作権周辺の問題は、正当な文化活動を促す目的のためには継続的な観察・考察・検証を必要とします。
インターネット基盤を文化の一様相として有効視野の中に収めたいとする本企画は、当然のことながら、上述した問題を含め想定されるあらゆる諸問題にも注意深く関心を持ち続けなければなりません。

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ただやはり、それでも一番の基本は表現者への「敬意」を忘れないことです。
ここで言う表現者とは文化に関わるすべての人を指します。
もっと大きく言えば、人を含むすべての生命の文化活動を尊重し、あるいは自然や宇宙といった壮大な世界を含め、私たちが存在する社会に現れるすべての文化の様相に強い関心と敬意を持ち、また文化の本質を追求し楽しみ、文化という貴重な経験をどこまでも大切に思う気持ちを忘れずにいる、ということです。

これを本企画の根っこの部分に置いておく基本姿勢とします。

冒頭の宣言

跋(むしろ反省の弁)

肝心な冒頭宣言ということで、はっきり言って気張ってしまいました。
書き出しから調子に乗り大風呂敷を広げ、深い思索も準備できていない中あれよあれよと主題が散漫し、能力の範囲を越え欲を出した当然の帰結としてそれをきちんと畳めなくなりました。
実に恥ずかしいかぎりです。

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読み返せば、宣言というより御託を並べただけの雑文のようなものになっています。
本ウェブサイトの地力はそもそもこの程度なのかもしれません。
そう思うといささか不本意ではありますが、一方では少なからずほっと安堵しているのも事実です。
冒頭から一分の隙もなく仕上げてしまったら、今後の展開でいつぼろが出るか不安で不安でしようがなくなります。
こうして初めにいくらか恥を晒しておけば、開き直りで肩の力も抜けてとても気が楽というものです。

こういう態度を「石に漱ぎ流れに枕す」などと表現しますが、言葉というものは実におもしろいですね。