活字
狭義には、活版印刷に用いられる、字や記号などを反転させて彫られた、あるいは鋳込まれた木や金属などの片。
◇
広義には、方法に依らず紙などの媒体に印刷された文字までを含む。
活字中毒、活字離れなどと言う場合は大体こちらのこと。
◇
たとえばパソコンのディスプレイに表示される文字、今まさにこうして目にしている文字を活字と捉えるのかどうか、これから起こりうる意味の拡張、概念の変質に注目するのもおもしろいかも。
活字の日々
狭い意味から広い意味まで、そしてこれまでになかった解釈としての活字について、活字を愛し、活字に感謝し、活字を敬う心から、あれこれ調べて、あれこれ考え、あれこれ楽しむことができたら有意義かなと思います。
◇
さすがに狭義の活字とまではいきませんが、広義の活字に触れない日はありません。
どこにでもあるのが当たり前ゆえについ忘れがちになり、しかしもしなくなってしまえば困るどころではない活字のありがたみを、時にしみじみと噛みしめています。
そんな日々のことなどを少しずつ記録していきます。
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3
☞ ヨハネス・グーテンベルク
ある程度広く認められた説として、このひとが活版印刷を発明した人物とされています。
確たる文献が残されているわけでもありませんが、ほぼ揺るがない事実として通っています。
視点を変えれば他に新しい説も認められていいのかもしれませんが、現時点で大きな不都合はないらしく、グーテンベルクさんが発明したということで問題ないのでしょう。
◇
こうした判断には少なからず第一発明者至上主義といったもののきらいがあることも否めません。
当然ですが、これほど奥の深い印刷技術をひとりの人間が突発的に思いついて作り上げられるはずもなく、時代や地域を越えそれまで脈々と受け継がれてきた歴史の中で、ひとつの結節点として登場した象徴的人物が彼だったという見方をしても差し支えない気もします。
いづれにしても、活版印刷技術は素晴らしい発明のひとつに違いありません。
そして、ヨハネス・グーテンベルク氏はパンチョ・ヒョッコリー氏ではありません。
声を大にして言うまでもなく、そんなことは当たり前でしょう。
だったらもったいつけて言うなと怒られそうですが、言いたくなってしまったので言いました。
そもそもパンチョ・ヒョッコリーなる人物とは一体誰だ、という話です。
パンチョ・ヒョッコリーはカタリーノ・ナンチャッテー氏に置き換えても構いません。
カミングアウト・ホラフキー氏や、テキトゥーロ・オ・ザッパー氏でもいいです。
つまりそういうことです。
◇
大切な事実はひとつ。
グーテンベルクはグーテンベルクゆえにグーテンベルクたりえたのではないか、ということ。
こんなことを言えばグーテンベルクへの無礼にあたるどころか、活版印刷という文化そのものに対する冒涜と非難されかねませんが、もちろんグーテンベルクや活版印刷という無比なる文化への敬意を忘れているのではなく、それとは別の地点からひとつのユーモアとして物事を見てみました。
それを断った上で言い切ってしまいます。
グーテンベルクはグーテンベルクゆえにグーテンベルクたりえたに違いない。
名前は重要です。
グーテンベルクという名前はまさに活版印刷の祖に相応しい響きを持っています。
音の響き、字面、どこにも文句のつけどころがありません。
そんなことを言って、では他の国における発音、あるいはカタカナ表記以外ではどうなのかと問われたら、そんなことは知りません、というとても無責任な答えしか返せないのですけれど。
↑ほら。
グーテンベルクを「グ」「ー」「テ」「ン」「ベ」「ル」「ク」という金属活字で印字する。
この迫力、完璧です。
先には冗談のようなことを書きましたが、この小さな文字の列をしげしげと眺めてみると、あるいはひょっとすると「活版印刷」という単語のドイツ語訳のようにも見えてきませんか。
グーテンベルクが活版印刷の発明者というだけでなくそのドイツ語訳でもあったら、そんな勝手な空想も楽しくて素敵かなぁと思います。
言葉や文字、文章は読み手の想像力と世界をどこまでも豊かに広げてくれます。
受け取る側だけでなく発信する側も、自由な世界を楽しむことができます。
◇
活版印刷は時代の変化とともに衰退し、新しい技術の導入により文字の印刷は形を変えました。
古いものが古いままでいつまでも残り続けなければならない絶対の道理はありません。
技術は革新される運命を背負っています。
完全に消えてなくなることは考えられませんが、活版印刷がいつまでも手軽に身近に楽しむことのできるものでいられるとは限りません。
今こうして活版印刷による文字や文章に親しめる内は、好き勝手でも想像力を働かせ思う存分に活字の迫力や奥深さを味わいたいと思っています。
グーテンベルクに最大の敬意と感謝を抱きつつ。
《※写真の組版、印字は活版印刷ユートピアノさんに協力を依頼しました》
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☞ 手フート?
手フート、あるいはテフート、活版(凸版)印刷に用いられる手動の小型平圧印刷機のこと。
まず「手」は手動式ということで「手」です。
では「フート」はというと、これはフート印刷機のことを指しています。
フート印刷機の「フート」がなにかと言えば、それは単純にフット、足のことで、それで足踏み式のものをフート印刷機と呼びます。
手動式のフート印刷機なので、縮めて略して手フートです。
◇
手動式足踏み平圧印刷機、それが手フート。
なんのこっちゃ。
あえてハンドフートとは呼ばず、結局のところ主役は手なのか足なのか、なかなか奇抜で魅惑のネーミングです(実際は手が主役です、というより足は使いません)。
長い歴史を持ち、見目古めかしい機械ですが、はがきや名刺など、小ぶりの一枚もので比較的少量の印刷に向き、印刷工房などで今も活躍しています。
インクを版に塗り、それを用紙に圧して印刷する、ハンドルを引き下げる動作でこの一連の作業をガチャガチャンとこなします。
この動きの中で、インクの乗せられた円盤が回転して印刷ムラをなくす工夫もされています。
実物を見ないとなかなか理解されづらいのですが、この印刷機の働きには仕掛けの妙を感じます。
◇
印刷用紙のセットや取り出しはハンドルの動きとは無関係で、一枚一枚別の手作業です。
用紙をセットし、ガチャガチャンとハンドルを引き、印刷された紙をさっと取り出し新しい紙をまたセットして。
古く発明された機械ということもあり、完全な自動化を実装しているわけではありません。
有能なからくりだけに頼っていてはだめで、それなのでこうした機械にはそれを扱うひとの技量や心も大切です。
機械と呼ばれる装置には様々な種類があります。
仮にそれらをある視点からふたつに大別するならば、ひとつは人間や動物の動作や働き、あるいはそれに似せた仕事能力を迅速化、効率化あるいは拡張、精密化させたもの、もうひとつはそうした仕事能力とは無関係に独立した仕事をこなすもの、に区別できます。
実に大雑把で偏った分別ですが、前者のわかりやすい例としてはやミシンや洗濯機、エレベーターや飛行機などが挙げられるでしょうか。
現代では電気や電子の利用が革新的に進み、後者に分類されうる機械があふれています。
◇
手フートは実に前時代的な機械と言えます。
版に一回ずつインクを手塗りし、それを紙に圧して印刷していたものを、一連の動きの中にまとめて効率化、省能力化しただけの機械です。
一往は量産性や作業効率、仕上がり精度の均一性を求めるために機械化された印刷機ですが、インクの量や状態、圧の強弱など、操作する人間の加減や能力に頼る部分が多く残されています。
そのせいで仕上がる印刷物にズレやムラが生じることもあり、しかし、そんなところにこそひとの温もりのような魅力を感じるのもまた現実です。
こうしたことを思う時、元来、機械や道具は人間の手の延長だったと再確認できるものです。
手なのか足なのかわからないような手フートですが、手フートの「手」の部分は温かい印象として大好きなままにしておきたいと思います。
《※写真の組版、印字は活版印刷ユートピアノさんに協力を依頼しました》
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☞ いつかは植字工
いつの頃からだったかは忘れてしまいました。
気づいたら、植字工という言葉に遠く憧れの響きを感じていたのです。
現実的に考えて、そうした言葉を知り、そうした職種に憧れを抱くとなれば、始まりはおそらく中学生の時分だったと思います。
◇
本の口絵かなにかで見た印象だと思いますが、しかし植字工の働く環境は決して快適なものではありませんでした。
目を凝らし、重い金属活字を運び、インクに汚れ。
それでも、彼らは熟練の技術を持ち、言葉や文字への深い造詣を誇り、印刷工場の中に威厳高く存在する職人に違いなく、憧れの的であることに揺るぎはなかったのです。
作業の効率化のために、文選と植字を分業とすることがある現実を知ったのは随分あとになってからでした。
文選工が活字を拾い、植字工がそれらを組んでいく。
実際、作業内容からすればどちらかと言うと文選の印象に重きを置いた憧憬ではありましたが、植字工という言葉の響きに対するこだわりを持ち続けていました。
文選工と対をなす立場の植字工ではなく、文選作業を兼ねた、活字のすべてに精通した存在としての植字工に憧れを抱き続けたのです。
◇
時を経て、若き日の夢や憧れが色褪せてしまうことはよくあります。
現実的な将来を見据え始める段階になると、さすがに植字工という存在はある種、夢のまた夢の憧れのまた憧れほどの位置づけになってしまったのは必然の成り行きでもありました。
活版印刷の衰退とともに植字工という職業が風化しつつあった時代背景は無視できない事実です。
ついには、植字工への憧れは心の奥の奥底へ姿を消し、もっぱら活字は印刷されたものを読んで楽しむばかりの対象になっていました。
その頃にももう、書物はほとんど電算写植によって印刷されたものだったはずですが、それという意識すらなく、また活字という単語はもはや金属活字を意味することもなく、印字された文字を指すもののみとして頭の中に形成されていたことと思います。
将来の夢や憧れの職業などの話題を耳にする時、ふと植字工という言葉を思い出し、それに憧れていた時代の風景などを懐かしくすることがあります。
もちろん活版印刷は絶滅してしまったわけではありません。
活字製造業者、活版印刷工場、工房、その規模や数は今後も縮小の傾向にあることは否めない現実ですが、熱意を持って活字に取り組むひとたちは確かにいるのです。
そして活版印刷が存在するかぎり、そこに植字工は存在します。
一枚の葉書や名刺のための組版にしても、それを行うのはやはり植字工なのです。
◇
懐古趣味ではありませんが、活版で印刷された古書に見入ることがあります。
記号化された情報の連続とは違う、文字以上のものがそこにある、という圧倒的な存在感に気圧される思いです。
それは単なる紙の表面にある凹凸の話ではなく、押された金属活字の存在を思い、さらにはそれらを組んだはずの植字工の息づかいすら感じ取られる、気圧されると同時になんとも不思議で心地よい、それはなににも代えがたい感覚です。
《※写真の組版、印字は活版印刷ユートピアノさんに協力を依頼しました》
活版印刷、古くて新しい文化
活版印刷の起源をどこに定めるのかという問題には、検討の余地が残されているかと思います。
しかし、どれだけ少なく見積もったとしても、数百年の歴史を持つことに疑いはありません。
◇
デジタルの世紀とも言われる現代、そんな活版文化も先細りに廃れていく運命にあるのでしょうか。
しかし世間を見渡すと、どうやらそんな悲観的な展望に嘆くばかりでもない状況が伺えます。
ともするとリアルタイムでの活版印刷には馴染みの薄かった世代の人たちが、活版の魅力を発見し発展させるような活動をあちらこちらで始めているようすなのです。
◇
そうした活動は単なる懐古趣味という言葉に括られるものではなく、活版の歴史的意義や存在価値を再創造する新しい動きにも感じられます。
これからの活字の姿に思いを馳せる日々の中、ふとした縁が繋がって、とある活版印刷工房を取材する機会をいただきました。
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その1 ユートピアノと活字、これまでのこと
活版印刷ユートピアノ。
石川県金沢市東山、シェアアトリエ「ひがしやま荘」の一角にその工房はあります。
周辺一帯は「ひがし茶屋街」と呼ばれ、内外の人たちから深く親しまれている地区です。
江戸時代文政期の金沢城下、浅野川の東側に茶屋町として開かれ、今も茶屋様式の町屋が多く残る伝統的で風情ある文化町です。
2015年3月14日、北陸新幹線金沢開業のちょうどその日、印刷工房を営む松永紗耶加さんにお話を伺うことができました。
松永さんが活版印刷を始めることとなったきっかけは、ほんの小さな偶然でした。
それは、かつて自身の創作活動のひとつとして活版印刷を依頼してつき合いのあった富山の印刷屋さんから届いた廃業の知らせです。
廃業にあたり、これまで長い歴史を刻んできた活字たちが単なる金属のかたまりとして処分されてしまうことを聞きました。
もったいない、このひと言では表し切れない気持ちが生まれ、彼女は印刷屋さんに「それなら私に譲ってください!」と切り出したそうです。
「そうですね。
この活字がなくなってしまうのは嫌だなと思い、それなら私がやりたい、と。
ただ、今回の活字の話に限らず、以前から、古い伝統が消えていくというニュースを聞く度に、もしかしたら私にもできるかなと思うことはありました。
そういう風に思うこと、ないですか?」
「そういうところが無謀なんですね、私。
まったく経験のない業種だとしても、私がやってみたらどうなるのかなというのが先で。
そう、例えばですけど、和傘とか(笑。」
「実際にはしないのですけど(笑。
今回の活字についても、またいつものように思ったということです。
そして道具の規模は見て知っていたので、これなら実際に譲り受けて置いておくことも可能ではないかと。」
─ 松永さんの大胆な一面を感じられますね。
そうした勢いには元来の性格が出ているのでしょうか。
─ たまたま機会が訪れたのが活版印刷だったわけで、もしかすると和傘だったかもしれない?
「はい、そうです。
以前から活版印刷は好きでしたが、どうしても活版印刷がしたくて仕方なかったというのではなく。
経済的な効率化によって、たとえ世の中から必要とされていても、情緒があって美しいものがなくなっていく、そうした現状をずっと嫌だと思っていました。
それでたまたま活版印刷に出会ったということです。
なので、まったく違うものだったこともありうるんです。」
─ 出会いは偶然で、でもきっと運命的なものなのですね。
活字を譲り受けると決めた時、商売としてやっていくと考えていたのですか。
「いえ、とりあえず活字を残しておきたくて、最初は家に置いておくつもりでした。
趣味として自分の名刺などを作っていけたらいいかな、というくらいです。」
─ 活版印刷を商売としてやっていこうと決めた契機は。
「よく考えたら活字は重くて家に置いておけなかった。
ではどうしようと、いろんな人に相談していたらこの場所(シェアアトリエひがしやま荘)を紹介してもらいました。
ここに入居すれば家賃が発生するし、ほかにもお店が入っていて、それなら商売にしてみようかな、という流れです。」
とにかく活字が捨てられるのだけは嫌だったという松永さん。
かつて古道具屋でアルバイトしていた時も、ゴミみたいなものを捨てずにおいて叱られた経験も持つという。
生来の勢いと、ものを大事にしたい精神とで活字や道具一式、小型の印刷機を譲り受け、肩の力が抜けた自然な経緯で活版印刷の工房まで辿りついたようです。
もちろんすべてが未経験のことなので、字を探すところから始まり、版を組み、印刷するまでの一連を富山の印刷屋さんに教わり、一から覚えていきました。
─ 実際の作業は実に細かい作業ですよね。
小さな活字をコツコツ拾い、それらを地道に組んでいく。
そういう作業は自分自身の性格には合っていましたか。
「はい、刺繍したり、細かい作業は昔から好きなんです。
ここに置いてある活字を見た人から、こんな細かい作業は到底無理と言われることもありますが、私は平気です。」
─ 大胆な勢いもある一方で、繊細でちまちました作業も大丈夫。
ふとこぼれる笑顔に、彼女の飾らない人柄が表れていて、とても気持ちのいい印象を受けます。
さて、そんな彼女なりの成り行きで新しい世界へ挑戦することに。
しかし最初は、字を拾うのにも思った以上の時間がかかり、せっかく組んだ版が何度も崩れたり、未経験ゆえの苦労は当然あったようです。
名刺の版をひとつ組むのにも一か月以上かかり、これでできるようになるのかなと思っていた。
そして、一番初めに受けた注文は友人の名刺でした。
「その時に限らず今でもそうですが、自分の中では最大限にきれいに仕上げたつもりでも、最終的にお客さんに渡して見てもらえるまでは、実際に気に入ってもらえるかなぁって思うものですね。」
─ ユートピアノという屋号について聞かせてください。
印刷工房の屋号であるユートピアノは、テレビ演出家であり映像作家の佐々木昭一郎氏によるテレビドラマ作品『四季・ユートピアノ』(1980年・NHK)に由来する。
ちなみに、このインタビュー前年の2014年、氏にとって初となる劇場映画作品『ミンヨン 倍音の法則』が公開されました。
「ユートピアノというドラマはとても好きな作品です。
この作品から受ける印象、感情というものが特別にあります。
背筋が伸びるというか、自分が大事にしてきたもの、大事にしすぎて奥にしまって忘れていたものを思い出させてくれるキラキラした感じ。
それで、この名前を使っていいですかと、佐々木監督に手紙を書きました。」
─ それだけ思い入れのある作品の名前を看板に掲げるというプレッシャーはありませんでしたか。
「プレッシャーはあります。
でも、そのプレッシャーは遠い目標にもなっています。」
─ 先ほどの、大事にしすぎて忘れていたものを思い出させてくれるという感じ。
そうしたものをお店から発信できたらと。
「それもあります。
そして、ユートピアノというドラマはなにも真似していない、すごく独自な作品です。
そういう作品を作るのはとても大変だということがわかる、いえ、わかる以上に大変なんだと思います。
自分がなにかを作るのなら、そうしたものを作らなければだめだろうと思っています。
そんな意味合いもあります。
お店を出すにしろ、なにかを作るにしろ、そういう人にならなければいけないという思いは活版印刷を始める前からありましたので。
映画や本にしても、独自の精神を感じられるものが好きなんです。」
確かに、佐々木昭一郎氏は完全に独自の世界を築いている希有な映像作家と言えます。
彼の生み出す作品世界は、唯一無比、そんな言葉がふさわしいです。
佐々木監督とその作品を語る松永さんの目の光や言葉の響きには、すっと一本の芯が通っているような、揺るがない強い思いが込められているを感じました。
─ 実際に活版印刷を始めてみて、活字に対する思いに変化はありましたか。
「大きな変化というものはないですね。
なんて言うのでしょう、これらの小さな活字ですが、例えば落としてしまったら、あゴメン、みたいな感じはあります。
それは活字に限りませんが、昔からあった、ものを大事に思う気持ちです。
それはずっと変わらずにあります。
そして、これらの活字に対しては、ものとしてかっこいいと思う気持ちが元々あったから受け継いだというのもあります。
ものとして存在するだけで、そこにストーリーもあるし、情緒もある、そう思っています。」
─ 松永さんの中にある思いは、お客さんに伝えられていますか。
「直接口に出して言うことはありませんし、伝えられているかどうかはわかりません。
でも、ここで注文を受けるということは、インターネットでポンと注文を受けて商品を送ってハイ終わり、という流れとはまったく違います。
ひとつの名刺を作るにしても、制作過程でお客さんとの間で何度もやりとりをして完成させていきます。
最終的に商品を送る際にも必ず手紙を書くようにしています。
そういう風にして受け取ったものは、たとえ値段や出来上がりが一緒だとしても、インターネットで気軽に買ったものとでは気持ちの上で全然違うと思っていますし、お客さんにもそう思っていただけていたらいいなと考えています。」
ものの本企画の名刺も松永さんに制作を依頼しています。
デザインを決めるにあたり、こちらの工房を訪れて直接打ち合わせをしました。
実際、とても細かな話をやりとりしてデザインは仕上がりました。
仕上がりに古びた味を出したかったので「できるだけ使い込んだ活字を選んで版を組んでほしい」という要望にもきちんと応えてもらいました。
彼女の対応から誠実さが伝わり、安心して制作をお願いすることができました。
完成して送られてきた名刺には彼女直筆の手紙が添えられていました。
その手紙を読んだ時、名刺の持つ質感と同じだけの温かみを感じられたのです。
インタビューで話を伺っていると、彼女の思いに深く共感できました。
活字組版という、余分に手間のかかるような方法であえて印刷物を制作する。
そして、その制作過程においても面倒を惜しまず、お客さんとのやりとりを密に重ね完成させていく。
余分と思われるものも決して余分なのではなく、ものや人との関係を大切にする彼女なりの思いを純粋に表現するために必要不可欠な要素となっているのだと感じました。
その2 活字と文化、これからのこと
今は名刺を中心に注文を受けていますが、昨年末には新たに年賀状の印刷も始めたとのこと。
ということで、2015年の年賀状をいただきました。
一般に使用されているハガキより小ぶりの、とてもかわいいサイズです。
これは、現在ハガキとして送ることのできる最小サイズなのです。
なんとも言えない味があります。
現在ユートピアノの工房には、譲り受けた活字と道具一式、そして手フートと呼ばれる手動式の小型印刷機があります。
「動力」と呼ばれる三相200Vの業務用電力で動く、ひと回り大きな印刷機が富山の印刷所に残ったままになっていて、廃業はしているものの、稼働を完全に止めてしまったのではないそうです。
手フートでは印刷できない大きいサイズや、枚数が多いものを印刷する時など、富山へ出向いて作業をすることもあるといいます。
─ それにしても、富山の印刷屋さんも、いづれやめてしまうことにはなりますよね。
「そうなんです、どうしようかと思っています。
私がどこかに引っ越して、そちらの印刷機も持ってこようかなとも。
その富山の方が、私に使ってほしいと言ってくれているので。」
富山に残っているという印刷機、大きさは手フートとは比べ物にならないくらいのサイズ(およそ2メートル×1メートルほど)で、重さは1トンもある。
クレーンで吊って運ばなければならない代物です。
もしその印刷機を金沢まで持ってくるとしたら、現在入居しているアトリエを出て新しい場所を確保しなくてはいけません。
─ この工房が最終的に目指しているところはありますか。
「そこは難しいところです。
まずはできるだけ続ける、ということを考えています。
実際のところ、印刷屋がどれだけ活版印刷をやりたいと思っていても、活字屋さんがいなければこの先ずっと続けられるものではありません。
英語のアルファベットと違い、日本語の漢字の数はものすごい数です。
名刺を作るにしても、たったひとつの文字が足らなかったら、もうそれだけでだめなのです。
それでも、活字屋さんがある限りはできるだけ続けます。
ただ、その活字屋さんも多くの需要で成り立っているわけでもなく、印刷屋で頑張っている人たちが少なからずいるからやってくれているところもある。
その状況で、この先いつまでもどうか続けていってくださいとは言えません。
将来のことはよく聞かれますが、そうした現実を考えると、できるだけ、という答えになってしまいます。」
ユートピアノが活字を購入している活字製造業者は愛知県の名古屋市にあります。
名古屋活版地金精錬所です。
日本の活字規格において、特にその大きさには古くからの混乱がみられます。
現在、国内でほとんどすべての規格をカバーして活字を製造できる場所が、この名古屋活版地金精錬所なのです。
─ それにしても、冒頭で伺った話からすると、この活字たちが消えていくのは松永さんにとって絶対に嫌なことですよね。
「ええ、嫌ですけどね。
最後はどうしたらいいのかな、とは思います。」
日本における活字製造業者はもちろん、名古屋活版地金精錬所だけではない。
関東にも関西にもまだまだ現役の業者はいくつかある。
しかし、それらの製造業者がこの先いつまでも安定した経営を続けられるかは、かなり不確かな状況と言わざるをえない。
─ それでも、松永さんも含めてですが、最近になって活版印刷を始めました、という新しいチャレンジの話も少なくない気がするのですが。
「そうですね。
そういった方たちの多くは、活字は現時点で残っているものを使うようにして、メインにはこうした樹脂版や金属版を使っての印刷をしているのかと思います。
名古屋の活字屋さんも仰っていましたが、それほど活字は買われていないということです。」
ここで言う樹脂版や金属版とは、ひとつのまとまったデザインを一枚の板(イメージとしては大きいハンコを押すようなもの)として作った版のことです。
パソコン上でデザインできるので、文字そのものの新しいデザインも、ロゴやイラストを版にすることもできます。
そして、イラストと文字の混在したデザインも容易に可能となります。
「はい、製版屋さんは全国にたくさんあります。
これは設備の規模が活字の鋳造とはまったく違って、すごく小規模な設備で製造可能です。
一方、活字の場合は、例えばまず活字と同じだけの母型(鋳型)が必要です。
それだけでもものすごい数になりますし、さらに鋳造機が要ります。
鋳造機も一台あれば足るものではなく、名古屋の工場にしても何台も用意されているものなのです。
それで必然的に工場の規模はとても大きくなります。」
─ こんな小さな活字を作るのにも大きな工場が必要なのですね。
「製版屋さん自体はなくならないでしょうから、樹脂版や金属版を使っての印刷であればこの先も続けられるとは思います。
でも、もし活字がなくなり、樹脂版などだけになってしまったら、私がこの印刷工房を続ける意味はあまりなくなる気はしています。」
─ 極端な話、名刺一枚分を丸ごと製版することも可能ですか。
「可能です。
そうした版を使えば、活字を組むという作業の必要はないし、文字が足らないから新しく発注する必要もなく、版を作ってあとは押して印刷するだけという手順になります。
ただ私は、それは活版印刷ではないと思っています。
確かに凸版印刷ではありますが、中にはそれをひっくるめて活版印刷と言う向きもあり、それは違うかなと。
活字組版ではないですから。
活版という響き自体にノスタルジックなものを感じていて、活版と凸版の区別がごちゃ混ぜになっているのかもしれません。」
─ 捉え方によるものもありますね。
樹脂版などでポンと印刷するものまで活版と呼んでしまう、という考え方もあり。
いや、活版印刷とはあくまでも活字組版での印刷だ、という正統な見方と。
松永さんの中ではやはり、活字を組んでこその活版印刷だ、と。
「そう思っています。
もちろん、ロゴやイラストを入れてほしいと言われたら樹脂版も使います。
あるいは文字情報がものすごく多くて、金額が高くなり過ぎてしまうような時には、一枚の版を作ってはどうですかと提案することはします。」
─ もし、樹脂版だけになってしまったら、続ける意味はない。
「あまり意味はないですし、楽しくないですね。
いえ、少しは楽しさもあるでしょうけど。
ただ、この活字が溶かされて処分されてしまうことを考えると、それはすごくつらいです。」
「いろんな場所でそうしたことが起こっていて、この場所が最初でも最後でもないのですが。」
─ 現時点では、活版印刷を続けること自体が活字屋さん次第という面が強いのですね。
そうだとすると、先のことはあまり考えたくなくなりますね。
「その通りですね。
インタビューなどでも将来の夢についてよく聞かれますが、やっぱり、できるだけ続ける、という答えになってしまいます。
私が二年半前に活版印刷を始めると言い出した時も、業界の周囲からは、なぜ今になって始めるのかと言われました。
そんな私にしても、もし今から活版印刷を始めたいという人がいたら、ちょっとそれは、と思ってしまいます。
今から始めるのかぁ…って(笑。
二年半前の私との差なんて少ししかないんですけどね。」
ものの本企画がユートピアノまで足を運び名刺作成を依頼し、またこうしてインタビューに訪れているのも、やはりここに活字が存在するからという理由による。
ここにある活字がすべて溶かされてなくなってしまうことを想像すると、活字文化を尊ぶこちらの感性まで溶かされてしまうような気分にもなって心苦しい。
しかし現実を冷静に受け止めれば、夢を見て壮大な展望を抱けるような状況ではないこともわかる。
彼女の口から出た、できるだけ、という控えめで確かな言葉には、あくまで活字組版にこだわり日々現実に活版印刷へ取り組む当人こその重みがありました。
「少し先の夢という話であれば、ポストカードや便箋などを作ってみようかなと思っています。」
─ あ、いい話ですね。
まずはそういうところからですよね。
どれだけ長い歴史を持つ文化でも、消えるべき時は消えていくという事実は拒絶しようがなく、それをただ悲観的に捉えているばかりでは何も始まらない。
「やれるところまでやるという姿勢で活版印刷に関わることができたら、それでいいのかもしれません。」
「でも、今は技術的に無理なのですが、もし3Dプリンタで活字が作れるようになったとしたら、と考えることもできます。
技術は日進月歩ですから。」
─ なるほど。
やめてしまえばそれまでですが、続けていれば可能性は残るわけですね。
「そうなったらおもしろいですよね。
最新の技術が古い技術を残すということは、すごくおもしろいと思います。
それは活版印刷の問題だけではなく、多くの業種で起こりうる話でもありますね。
昔から続く仕事に従事する人が、使う道具がなくなってしまい続けられなくなってきているという問題はたくさんあるはずなので。
それが最新の技術で補えるようになったら進歩も悪いものではないかなと。」
─ 確かにおもしろい話です。
新しい技術は否定するばかりのものでもないのですね。
活字文化の衰退を憂慮してつい後ろ向きの気持ちになりがちなところを、実際にこの場所で活版印刷に取り組む松永さんは、こちらが想像するよりも前向きに、そして正直になってすべてを見渡しているのかもしれません。
単なる感傷に浸るのではなく、ひとつの現実を前にして自分自身の信念とともに進んでいく、そんな彼女の意思を感じることができました。
─ 最後に今の話を伺うことができてよかったと思います。
未来は少し明るくなったのかなと。
新しい技術の誕生を待ちつつ、今できることはできることとして。
陰ながらではありますが応援していますので、できるだけ、続けていってください。
本日はお忙しいところありがとうございました。
活字や活版印刷という文化の持っている力をまだまだ信じたい思いは、松永さんへのインタビューを経てより一層強くなりました。
今後も機会を見つけて金沢には足を運びます。
仕事の邪魔にならないよう工房へも顔を出し、活字の今後をあれこれ見つめていけたらと思います。
松永さん、その折にはまたどうぞよろしくお願いします。
─ 了 ─
参考図書
表示形式:『書名』著者(出版社/出版年)
- 『日本語活字ものがたり 草創期の人と書体』 小宮山博史(誠文堂新光社/2009)
- 『消えた印刷職人』 ジャン=ジル・モンフロワ(晶文社/1995)
- 『活字が消えた日 コンピュータと印刷』 中西秀彦(晶文社/1994)